陸前高田市にて奇跡の一本松に再会

2011年4月17日、発災から約1か月後に訪れた陸前高田市。その時のショックは筆舌しがたく、このブログでも ” 奇跡の一本松 ” の写真を含めて紹介させていただいたところですが、あれから2年以上が経過し、どのように復興の姿を見せてくれるか、期待を抱きながらの視察となりました(2011年4月15日〜16日に行った東日本大震災現地調査を参照)。
陸前高田市で震災により亡くなられた方は1,735人、被災戸数は3,368戸にも上ります。人口が震災前に約24,000人であったことを考えますと、いかに多くの方が命を落とされたか、想像に難くありません。

奇跡の一本松

奇跡の一本松


これまでの遠野、釜石、大槌、大船渡と、まだまだ道のりは険しく厳しいとは言いながら、確実に復興が進む姿を拝見でき、安堵の気持ちもあったなか、ここ陸前高田は、瓦礫こそ無くなりつつありますが、全くの平地のままで、白爪草がジュータンのように一面咲いているばかりです。
陸前高田市内全景

陸前高田市内全景


この果てしなく茫洋と広がる光景の先に、希望の灯をいかに見つけることができるか、可能性は無限かもしれませんが、具体策を描くにあまりにも空間が広いのです。繰り言になりますが、何か、良い切り口は見いだせないか、これまでのモビリティ研究会での復興支援シミュレーション検討で、グランドデザインや災害に強い都市交通計画プランは議論を重ねてきたはずですが、この現実の空間を目の当たりにすると言葉を失わざるを得ませんでした。
盛り土

盛り土


あちらこちらで、土砂が堤防のように、うず高く積まれています。素人の小職は、これで防潮堤を造る準備をしているのかと勘違いしてしまいました。石田先生から、「防潮堤を造るには、土砂を塗り固めたようなやり方では、到底だめです。これは、高台移転のために傾斜地を崩して出てきた”切り土”を運んできて、積み上げているのではないでしょうか」とご指摘を頂きました。

クルマを停めて、奇跡の一本松まで歩きました。観光地のようになっていて、大勢の見物人が河口の傍の一本松へと向かっています。この奇跡的に残った一本松も塩害により枯れる懸念が強まったために、特殊な加工が施され保存されたことは有名です。

陸前高田市のHPを引用します。

“東日本大震災の大津波に耐えた高田松原の「奇跡の一本松」は、震災直後から復興のシンボルとして、市民のみならず、全世界の人々から親しまれてきました。しかしこの一本松は、大地震による地盤沈下で海水がしみ込み塩分過多の状態となり、徐々に衰弱が進んで枯死にいたってしまいました。そこで、今後も復興の象徴として後世に受け継ぐために、現在の一本松に人工的な処理を加え、モニュメントとして保存することとなりました。整備にあたっては多額の資金を要するため、今回「奇跡の一本松保存募金」として全世界へご協力をお願いし、奇跡の一本松の保存および周辺の環境整備に充てたいと考えております。皆様の温かい善意とご協力をお願いいたします。”

と募金が呼びかれられた経緯を記しています。

この奇跡の一本松は、陸前高田の復興のシンボルであり、今回の大災害を後世に伝える証人となるでしょう。そして、わたしたちも立ち尽くすのではなく、一歩、一歩、何としても前進を続けてゆかねばならないと考えなおしました。自然災害の前では人は無力かもしれませんが、自然と共生できる災害に強いまちづくりは必ずできると信じます。これまでの英知を結集して、後世に引き継げる、新しい陸前高田のまちづくりを支援させていただくことを決意いたしました。
その思いを頂けたのが、「りくカフェ」です。この「りくカフェ」は、被災してほとんどの中心市街地が消失した陸前高田にあって、地域の皆さんが気軽にお茶を飲みながら話ができる場所を、みんなの力を合わせて作ろうというコンセプトのもとで建設されたスポットです。

HPによれば、”地域住民が気軽に立ち寄れる居場所=まちのリビング”となる、それを実現するために、”地域の人びとが気軽に集まれる場所を地域につくりたいという住民自らの発意によりスタートし、専門家や企業が支援することで実際に居場所をつくることを目指す取り組み。「あたらしい公共」をかたちにするプロジェクト”として開始され、2012年1月9日に”東京大学大学院の小泉秀樹准教授(都市工学専攻)と、建築家の成瀬友梨さん(東京大学 助教)・猪熊純さん(首都大学 助教)、後藤智香子さん(UDCKディレクター)をふくむ、東大・首都大の都市計画・まちづくり・建築の専門家と学生、住友林業をはじめとする企業のサポートによってオープンを迎えた”と紹介されています。

“りくカフェ”の方に丁寧に入れていただいたコーヒーを頂きながら、板戸に書かれた様々な人たちの思いを拝見しながら、単なる被災地の光景からだけでは見えない、人の絆の強さ、コミュニティの復権、そしてこうした復興へのエネルギーを感じることができました。

りくカフェ

りくカフェ


今回の震災では、大学としては東北大学を中心とする被災地エリアの大学の活躍ぶりが紹介されます。こうした中で、この調査を通して東京大学の活動に触れさせていただくことが出来ました。遠野、釜石、大槌、大船渡、陸前高田と、復興支援に全力で取り組む東京大学の一気呵成な総合力と瞬発力の凄さ、すさまじいまでの専門的知見を実践知として復興のエネルギーに変える「気概」には、心より感服いたしました。これぞ、日本の大学の代表者として、未曽有の国難に対して、東京から遠く離れた陸奥の最前線に数多くの教員、研究者、学生を派遣、動員して実践活動を粘り強く展開する。どこの大学も到底真似のできない、真の知の拠点としての大学の存在意義を篤と拝見させていただきました。
陸前高田第一中学から見た市内

陸前高田第一中学から見た市内