帰路の列車の発車時刻まで、もう少し余裕があるとの判断で、スケジュールにはなかったのですが、宮城県気仙沼市まで、足を伸ばすことにいたしました。
気仙沼市も、陸前高田市と同じく、2011年4月16日に現地調査を行った地域です(2011年4月15日〜16日に行った東日本大震災現地調査の記事参照)。途中に、陸に打ち上げられた大型船が、そのままの姿で放置されています。奇妙なことに、平日ながら観光客がバスを連ねており、ちょっとした賑わいを見せていました。あとで行った、気仙沼港には、こうした残骸は影も形もなく撤去処分されており、ここはメモリアルとして残す予定ではないかと推測しました。
発災直後の気仙沼港は、テレビで何度も放送されたとおり、多くの船舶が炎に包まれたために、異臭が漂うなかで真っ黒焦げの船舶が無残な姿を横たえておりましたし、マンモス級の船舶が打ち上げられたり、港の立体駐車場の上層階部分にクルマが突き刺さったりと津波のエネルギーの想像を絶する莫大さを見せつけられました。
現在は、その悲惨な光景は復興作業によりほぼ無くなり、お魚市場は大勢の人たちで活気に溢れています。南気仙沼エリアは、まだまだこれから復興に時間がかかりそうですが、気仙沼市は市役所や気仙沼駅が、海抜から数メートルは高台に位置するため、鉄道を含め被災を免れています。このエリアは平常時と同じ都市の顔をしています。
ここ気仙沼駅もBRT気仙沼線の駅です。駅にクルマを停め、BRTの到着を待ちました。駅構内には一関行の列車が発車のベルを告げていました。まもなくBRTが駅前ロータリーへと入ってきました。
ちなみに大船渡線は岩手ナンバーで岩手県交通が運行、気仙沼線は宮城ナンバーで宮城交通(ミヤコーバス)が運行しています。復興を支えるBRTに皆でエールを送り、気仙沼をあとに、一路、北上へと向かいました。
[1]モビリティ研究会「被災地復興状況調査」
[2]遠野市「希望の郷『絆』」
[3]東北横断自動車道釜石秋田線(通称:釜石道)~地産地消の「こすもす」で昼食
[4]釜石市に入り復興住宅見学
[5]安渡第2仮設団地
[6]旧大槌町役場
[7]希望の灯り
[8]大槌町役場にてヒアリング
[9]大槌港
[10]大槌町復興まちづくり情報プラザ
[11]大槌小学校、中学校(仮設)
[12]釜石市の中心市街地を視察、情報交換
[1]仮設住宅が抱える移動面での課題
[2]オンデマンドバス体験
[3]釜石市平田地区仮設住宅見学
[4]大船渡市でBRTに乗車
[5]名物「さんまらーめん」で昼食
[6]陸前高田市にて奇跡の一本松に再会
[7]気仙沼の復興状況
[8]トヨタ自動車東日本株式会社にて