ホテルがある大名のあたりから、大濠公園の福岡城址沿いを歩きました。
さて、前にも紹介させて頂きましたが、福岡城は黒田長政の居城です。この福岡の地名がミソです。瀬戸内市のHPを引用すると、「近江黒田村(現:滋賀県長浜市木之本町)から追われた黒田官兵衛の曽祖父・高政と祖父・重隆は一族を引き連れて(現在の岡山県瀬戸内市)『備前福岡』に移住し、黒田家再興の基盤を整えました。やがて黒田家は播磨に移住し、官兵衛と子・長政は大名、大大名へと発展します。黒田家にとって『備前福岡』は”礎(いしずえ)”の地なのです。慶長5年(1600)に関ヶ原の論功行賞で筑前52万石を賜った官兵衛と長政は、博多の隣に新たな城を築きます。その地に「是本を重んじ始を忘れざるの意」という思いを込めて『備前福岡』から名を取り、『福岡』と名付けました。福岡県福岡市の地名の由来はここ『備前福岡』だったのです。 ちなみに『備前福岡』の初見は永万元年(1165)です。」とあります。
実際に、瀬戸内市の妙興寺には、黒田家の墓所があり、官兵衛の祖父である重隆(NHK大河ドラマでは竜雷太が演じた)のお墓がその中心にあります。また、その墓所の数メートル先に、岡山城を築城した宇喜田秀家の祖父である宇喜多興家(直家の父:大河ドラマでは直家役を陣内孝則が演じた)のお墓もあり、この地が、古からの要地であったことが偲ばれます。
さて、もともと、この地方は博多商人のまちとして長く栄えてきましたので、明治維新、廃藩置県で地名を何と決めるかで、旧福岡地区(城下町)と旧博多地区(商人町)との間で、大いに論争があり、議会での投票の末に福岡県と命名され、現在に至っているようです。一方で、鉄道開通と共に駅名は博多駅とされ、さらに新幹線の九州乗り入れと共に博多の名称は日本全国を代表する地名として、いまも輝き続けています。
さて、福岡城址を道沿いにまいり、目的地で要務を済ませてから、博多駅へ戻りました。
そして博多から新幹線で一駅、小倉駅まで参り、大分行きの在来線で宇佐まで参りました。岡山では和気清麻呂公に縁の深い、宇佐神宮にはじめて参拝いたしました。
八幡さまは古くより多くの人々に親しまれ、お祀りされ、全国約11万あるとされる神社のうち、八幡さまの数が最も多く、4万600社あまりのお社(やしろ)があり、ここ宇佐神宮は全国の八幡さまの総本宮であります。
広い境内は静寂につつまれ、どの建物も朱色であります。上宮の本殿は国宝であり厳かでありました。天皇が参拝された記録が表札として記されていました。下宮も落ち着いた雰囲気でありました。ここは二拝四拍手一拝という古式なお参り作法でありました。
友と家族の健康を祈願いたしました。
忙中閑ありであります。
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