いつかはクラウンが変わった

午後一から夕方まで、9月20日は、岡山県でタイでの岡山県特産「葡萄フェア」開催に関する情報共有、JETRO岡山と企業勉強会開催に向けたコンセプト会議、そして岡山経済同友会(岡山トヨタ本社)で岡山大学との連携活動に関する情報認識のすり合わせ、と企画会議が三連投でした。

午後のティータイムには、駅前通り商店街でお楽しみの糖分補給をいたしました。
岡山トヨタさんでは、打ち合わせまでに時間調整がありましたので、新型クラウンのカタログを頂き拝見しました。「いつかはクラウン」が「ずいぶんと変わった」との印象を受けました。「SUVとセダンが融合したようなボディー」という表現がぴったりです。ポルシェの新型に少し似ている印象です。

さて、トヨタの研究所在籍をご縁に、1986年から長きにわたりトヨタクラウンの主査(チーフ・エンジニア)を務められ、第一次Lexus GSを世に送り出した渡邉浩之技監(故人)に、何度かお話をお聞きできる幸運に恵まれました。特にワインがお好きで、末席にお加えただいた思い出があります。渡邉技監は、ハイブリッドカーの礎を築いたプリウス、さらにMirai(ミライ)に繫がる燃料電池(FCV)の開発に携わった方としても、トヨタ自動車の長い歴史にその名が刻まれる方です。

2011年の東日本大震災では、秋に衆議院議員会館で開催された、民主党ITS議連主催の復興を考える勉強会(会長:直嶋正行(民主党副代表・両院議員総会会長、前経済産業大臣、副会長:高木義明議連副会長(選挙対策委員長・前文部科学大臣))で、渡邉技監と小職の二名で話題提供をさせて頂いたことがあります。その思い出を懐かしく振り返りながら、還暦を越えて、ジイジになりましたが、いつかはクランなれど、情けないかな、いつまでも手が届きそうに無いのが実情です。