平成6年度岡山大学学位記等授与式


卒業生の皆さま、おめでとうございます。
3月25日、令和6年度学位記等授与式が、岡山県総合グラウンド体育館(ジップアリーナ岡山)で催されました。
この度は、学部生、大学院生ら合わせまして、3,170人が巣立っていかれました。
参加者全員で門出を祝福しました。
自分事で恐縮ながら、壇上にて、皆さまへの慶びをかみしめ祝ながら、併せて自らの卒業式とさせて頂きました。
岡山大学並びに地域の皆さまに心より深く感謝申し上げます。
長い間、誠にありがとうございました。

那須保友学長先生の式辞から、その一部を抜粋させて頂き、紹介いたします(全文は岡山大学HPに掲載されています)。
「コロナ禍において皆さんは、過去の卒業生、修了生とは比べ物にならないくらい多くの困難に遭遇したことと思います。しかし、それをどのようにして克服して今日の日を迎えたかを、色褪せることなく記憶にとどめ思い出してみてください。デール・カーネギーは「悩み」ということについて様々な示唆に富んだことを教えてくれています。私自身、困難に遭遇した時に救われ心が軽くなった言葉があります。一年前に思い悩んでいた事柄を思い出してください、そして一年後その悩みはどうなったか考えてみてください。2 年前、3 年前、4 年前の悩みについてはどうでしたか?覚えていますか?」皆さんも振り返ってみてください。多くの悩みは「何とか」なっています。しかし、「何とか」ならず、大きな壁として行く手を阻む悩みや困難もあります。そんなことは一度や二度ではありませんでしたが、私を勇気付けてくれた言葉があり、それを紹介することで皆さんへの餞(はなむけ)の言葉といたします。それは『孟子』の言葉です。

天のまさに大任をこの人に降(くだ)さんとするや、必ずまずその心志(しんし)を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚(たいふ)を餓えしめ、その身を空乏(くうぼう)にし、行いにはその為すところを仏乱(ふつらん)す。心を動かし、性を忍び、そのよくせざるところ曽益(ぞうえき)するゆえんなり

訳)天(神々)が、その人に重大な任務や使命を与えようとするときには必ずその人を苦しめることから始めます。まずその人を精神的に追い詰め、志が折れてしまいそうな状況に陥らせる。そして、肉体的にも疲労困憊なボロボロの状態に陥らせる。そして極貧の状況にまで追い落とし、やることなすことすべて思い通りにならぬような(絶体絶命の)事態にまで 追い詰めていくものなのです。それは、天(神々)がその人の心を鍛え、忍耐力を増大させ、通常ではできないことをできるようになるまで鍛えることで大任を負わせるに足る人物に育てようとしているからです。
大きな困難に遭遇したとき、そのことを悔やむのではなく、それは自分を磨くための試練であると思えること、思うように努力することで気持ちの持ちようがガラリと変わり周囲の景色が変わります。そして気持ちが楽になり新たなアイデアや気力が自然と湧いてきます。逆境や試練は乗り越 えられる人にしか訪れません。本日この後に「孟子」と「天」というキーワードでインターネット検索をしてみてください。関連のサイトがたくさん出てきます。今はピンとこない方のほうが多いかもしれません。しかし、この言葉を心の片隅にとどめておけばいつか必ず救われる時が来ます。
人生 100 年時代のいま、皆さんが本日迎えられた卒業・修了は、文字通りの“終わり”を示しているのではなく、皆さんにとってここから本当の「学び」が“始まる”ことを意味しています。ぜひ、皆さんも4 月からの活動拠点を「新たな成長の場」としてしっかり認識していただき、生涯にわたり学び続けていただければと思います。もちろん私たち教職員も、本学の同窓生として重要なステークホルダーである皆さんの更なる「学び」を引き続き支援してまいります。
卒業生、修了生の皆さん、これから社会人あるいは大学院生としての新たな生活が始まります。私たち全教職員は、皆さんが、母校岡山大学で学んだ伝統と精神、そして誇り(岡大愛(LOVE))を胸に、それぞれの新しい職場などで、自信を持ってのびのびと活躍してくださることを心から祈っています。そして、またいつかこの岡山大学のキャンパスに、成長した皆さんをお迎えするときを楽しみに、私からの餞「(はなむけ)の言葉とさ せていただきます。」

拝聴しながら、何度も、心の中で、うなずきました。
卒業生たちの心に深く刻み込まれた箴言でありました。
ご卒業おめでとうございました。