立石一真翁は、昨日の会議のメインテーマの一つであったSINIC理論の生みの親でもあり、SINIC理論についての理解を深めさせて頂く機会を頂きました。 6月30日は、ホテルをチェックアウトして、ホテルから徒歩で東本願寺を通り京都駅まで参りました。そしてJRにて嵯峨野方面を目指し、太秦駅で下車、京福電気鉄道北野線に乗り換え鳴滝駅で降りました。鳴滝駅からは徒歩2分くらいに見事な造りの「立石一真 創業記念館」がありました。集合時刻に余裕がありましたので、近所を散歩させて頂きましたが、まさにお屋敷街、高級住宅街でありました。一区画が広すぎるお屋敷が並びます。
また、さすがに京都、天皇の陵もありました。
何代の天皇でありましょうか、文徳天皇田邑陵の文化庁の高札を発見いたしました。門は閉ざされ、参拝は叶いませんでした。 立石一真翁は、オムロン企業理念の根幹をなす“創業者であり、われわれの世代では、「立石電機」として知られ、世界初の自動改札機・券売機による無人駅システムを社会実装はじめ血圧計に代表されるヘルスケア事業、私のかつての専門ではATMなどの金融システムなど、多岐にわたる事業展開する企業です。オムロンの講師として、全国の銀行のシステム担当役員向けの研修会に滋賀県草津工場へ数度にわたりお招きいただいた記憶があります。
ここ「立石一真 創業記念館」には、世界的に著名な経営学者であるピーター・ドラッカーと親交があったことを伺える写真やドラッカー自身のサイン入りの著書が展示されていました。オートメーション工業の先駆的な導入により、長時間労働による人的ミスを低減させ、安全面と品質にも配慮した工場労働を実現しています。さらに、この日のご案内役をしていただいたヒューマンルネッサンス研究所立石郁雄社長(一真翁のお孫さん)によれば、「1960年、当時の資本金の4倍もの建設費を使って、R&Dの要となる中央研究所を設立し、最新技術の研究・開発を進め、社員から「社長の道楽だ」などの声が上がったが、案外、早くに黒字化が実現して周囲を驚かせた」との逸話をお聞かせいただきました。さらに健康分野に自ら研究を続けて、「健康工学(Health Engineering)」の思想に基づき、電子血圧計を開発、さらに「家庭用デジタル血圧計」を完成させて「家庭で血圧を測る」という文化を作りあげたことをお聞かせいただきました。実際、母が高血圧でしたので、我が家にも早くからオムロンの血圧計がありました。現在は岡山大学でも最先端の技術による交流が続けられています。 さらに、一真翁は、日本で初めて障がい者が働く福祉工場「オムロン太陽」を作り上げた偉人でもあります。一真翁が生涯にわたり追求した「企業の公器性」という考え方は、現在のSDGsの思想と合致しており、ひとりも取り残さない社会を創るために、1965年、私財を投じて「社会福祉法人太陽の家」を創設し、自ら理事長となって重度の障がい者の職業訓練に精力的に取り組んだことを記念館でお教えいただきました。
創設者の経営理念を脈々と受け継ぐ、オムロングループの歴史と現在、そして未来への挑戦を記念館の見学でご教示いただきました。心に残る時間を頂戴いたしました。
ご案内いただきました、研究所の立石郁雄社長と中間真一エグゼクティブ・フェローの心からお礼を申し上げ、失礼いたしました。
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