今回は、役場の近くのお宿が予約できなかったため、離れた場所にあるペンション「メロー」さんに投宿させて頂きました。
息のあったご夫婦のおもてなしに感激でした。モーニングの野菜はお庭の穫れたて、3種のジャムもお手製、コーヒーをお替りしながら会話を楽しみました。
ご亭主は、福井県三国町(現在の坂井市)、奥様は富山県に氷見市がご先祖様のルーツだとお聞かせくださいました。共に北前船で栄えたお土地柄ですので、そのご縁で北前船の大きな拠点である寿都に移られたのだと話がはずみました。
私からは、岡山県でも倉敷市玉島や瀬戸内市牛窓は北前船の拠点で、また、広島県福山市鞆の浦や山口県下関市などと瀬戸内海北前船つながりで交流を図っているなどの話題をご提供させて頂きました。
また、私の出身地は四国の愛媛県であり、母方のご先祖様は村上水軍という海賊であったことを申し上げますと、ご夫妻は、四国4県を四日間で一周する弾丸旅をしたが、思いのほか広くて、観光というよりずっとドライブだったと笑顔で話してくださいました。特に、ご縁があった、ゆずで地方創生に成功した高知県馬路村まで行かれたとお聞きして、さらに驚きました(四国4県でも秘境にあると思いますので)。
さて、9時半に山岸係長と待ち合わせ、北前船で財を成した鰊御殿「」にご案内頂きました。ここで、ふるさと財団から専門家として派遣された株式会社TAISHIの皆様と待ち合わせいたしました。菅野剛代表(ふるさと財団地域再生マネージャー)から、新たにチーフディレクターの髙橋海氏、ディレクターの白川美穂氏をご紹介いただきました。
同町観光物産協会のHPによれば「鰊御殿といえば、一般的には網元や漁 師たちが寝泊りしていた建物をいいますが、この建物は、ここの漁場で「仕込屋」として商売をしていた橋本家の建物です。仕込屋というのは、網元や漁師に品物や金を貸し、代金を数の子、身欠鰊、鰊粕等で返済してもらってこれを売る商売でした。明治の初期、創業者橋本与作は長栄丸、金栄丸など五百国積みの自家弁財船で膨大な利益をあげ、当時で最高級の家を建てたのがこの建物です。自分の出身地(福井県)本家の庄屋宅を模し、全建材を集めるのに約3年、建築に約4年の歳月をかけ明治30年代に完成しました。床下には防湿のため6百表もの木炭をしきつめ、窓は当時ギヤマンといわれたガラスをオランダから取寄せるなど、豪華な調度品をそろえ、鰊にわきたつ浜と海の商人の盛時が渋い落着きの中にこめられています。」と記されています。
この解説通り、当時の隆盛をしのぶことができる豪奢な建物には、鰊で財を成した橋本家が、全国から宮大工など、超一流の職人と第一級の資材を集めて、数年間をかけて建築されたことが、素人の私にも想像できました。
特におもてなしをされたであろうお部屋には金箔が施され、かつては、多くのVIPが、逗留したことをうかがい知ることができました。
さて、次は、前回も訪問させて頂き、地域の皆さんの集まる拠点としての機能を果たしている曹洞宗「龍洞院」さんに、今回はご住職では無くて、奥様をお訪ねいたしました。
奥様は、ご出身は、寿都町のお隣、黒松内町ですが、千葉や札幌千歳にお住いのご経験があり、まず、外の世界を熟知され、その明朗闊達なお人柄と美貌により、倫理法人会活動への参加などを通じて、多彩な人脈を築かれてから寿都で活動されており、お寺のお務めはもとより、座禅の普及、学童保育の維持・発展、絵本の読聞かせ、みそづくり、健康づくり、そして町外からの各種合宿の誘致活動をされています。また、小中学校でのご指導に続き、寿都高校でも講師を務められることになられたことを喜んでおられました。
合宿の受け入れについては、一泊、10,800円を基本料金として、座禅や写経から写仏まで多彩なオプションメニュー(各1,000円)が準備されていて、料理の方もお寺様ならではの精進料理から、地元の海産物をふんだんにつかったバーベキューまで、来る方を満足させること請け合いだと胸を張っておられました。
こうした地元から作り上げる創生活動が、地域に関係人口を呼び込み、ファンを増やして、ひいては移住定住者を呼び込む流れを醸成することができるのだと確信いたしました。同時に、地域の子供たちに地域の魅力を体験や講和を通じて「寿都DNA」を受け継ぐ活動に余念がない「地域愛」の大切さを再認識させて頂きました。
外の世界を経験され、地域社会の足元をみつめ、そこに目の付け所を置いて活動される「龍洞院」さんに、改めて感服いたしました。奥様と記念写真をお願いいたしました。
次は、寿都の特産品の磨き上げを進めている、生海苔の収穫、加工作業を担う「海苔小屋」へご案内頂き、ご説明を頂きました。ここでは、寿都観光物産協会の若手のホープながら、会長の重責に就任された西村なぎささんにご案内役を頂きました。西村さんは、パートナーが、部署は異動になりましたが、ここまでふるさと財団の事業を担当されてきた寿都役場のホープ西村尚紘さんです。ご夫婦で寿都のまちおこしに取り組んでおられます。
さて、天然海苔の収穫時期は年明けから春先夏から暮れまでは漁はありません。だた、冷凍保存の技術が進んでいますので、通年、薫り高い天然海苔が楽しめるとのことです。また、現在は、ウエットスーツの技術も高くなっていますので、潮が引いた岩場で海苔を摘む作業は、思うほど重労働ではないとご説明頂きました。後継者については、地元では、なかなか確保が難しいため、町外から呼び込むための広報を強化して欲しいと希望されています。海苔そのものは、豊富にあるため、その気になればかなりの収入を得ることはできるそうです。
一方で、漁をしない期間に、他の仕事がなければ、定着頂くことはむつかしいため、その点についても雇用を確保するための産業が必要となる点が悩ましいとのことです。ただし、江戸前の浅草や有明海苔など、名産地でも後継者不足や海洋の環境変化で、高級品の海苔に対する需要は底堅いと思料されるため、こうしたマーケットを考慮すると、天然資源を活用した、養殖技術の応用による、新産業の創出も視野に入れたいと町役場では、養殖海苔の生産に向けた検討を開始したいとのコメントも頂きました。軌道に乗れば、通年を通した海苔製造業が起業できますと雇用の確保につながります。大いに期待を寄せさせて頂きました。
その天然海苔を商品化した「どんじゃ海苔」弁当が、道の駅で売られているとお教えいただき、早速、道の駅の売店で注文いたしました。待つこと3分ほどでお声掛けいただき、出来立てを食することができました。お新香も何も付かない、まさに海苔とご飯オンリーのお弁当で、海苔は二段になっています。海苔の独特の香りが立ち上りました。また、味も誠に奥深く、美味でありまして、あっという間にたいらげました。自然の恵みを活かした、地域の特産グルメ商品に拍手を送りました。
お客様が大勢並んでいましたので、事務局長様にはお声掛けをしませんでしたが、ご案内頂きました西村会長にお礼を申し上げ、また、財団の地域再生事業を専門家の立場からサポートを続けておられるTAISHIの菅野剛代表はじめ皆様と意見交換をさせて頂き、寿都町を後にいたしました。
機会をつくり、再び、寿都町を訪ねさせて頂きたいと強く願った現地調査でした。
皆様方に感謝です。