世界史で学んだ「バスティーユ牢獄の襲撃」は、1789年7月14日と記されいます。この日はフランスの「革命記念日」であり、日本では「パリ祭」という名前で知られ、岡山市内でも、毎年、盛大にパリ祭が開催されています。
ここは、パリ11区、12区、4区の境にあり、9月24日、パリ中心部から地下鉄(メトロ1号線)で、30分以上、何駅も乗車しました。駅を降りて地上に出ますと、その中心にバスティーユ広場と先端に金色に輝く「自由天使像」が羽ばたく革命記念柱がありました。この地に、かつてフランス革命の発端になったバスティーユ牢獄があったのです。ルイ王朝の統治に不満を持つ市民が、1789年7月14日、バスティーユ牢獄を襲撃し、革命が始まり、これがきっかけとなり、フランス国王ルイ16世とマリー・アントワネットは処刑されました。さらに、ナポレオン失脚後、ブルボン王朝が復活したものの、1830年7月、再び市民革命が起こり、王朝は倒れ、市民推薦のルイ・フィリップが王位に就くが、この政権も労働者からの不満がつもり、1832年に6月暴動が起きました。この革命記念柱は、この7月革命の慰霊者を偲ぶために建てられたと解説されています。
さて、私たちが訪れたバスティーユ広場は、多くの公共交通や自動車、そして自転車やキックボードが、盛んに行き交うロータリーになっていました。この広場は、パリ五輪で拡幅されたのでしょうか、市民の憩いの空間になっていて、パリ五輪とパラリンピックの開催を記念した五輪のモニュメントが鎮座していました。大勢の子供たちが遊んでいましたので、仲間に加えてもらい、記念写真を撮らせて頂きました。周辺にはセーヌ川へ続くアルスナル港があり、さらに、芸術のまちパリを連想するに値するガラス張りのモダンな新オペラ座が、私たちの眼をひきました。
そして、何よりも興味深かったのが、広場の下を流れる川の上を細長い公園に長く続くマルシェの素晴らしさに圧倒されたことです。新鮮な野菜や果物、魚や肉やソーセージ、そしてチーズや蜂蜜、さらに、焼きたてのピザや焼き牡蠣を食べさせる飲食コーナー、洋服から雑貨、土産物まで数々のお店が軒を連ねます。そして、なんといっても花の都パリを象徴するセンスの良さが抜群です。シャンゼリゼ通りとは違った、庶民感覚のセンスの良さが光りました。日本でも、夏祭りに代表される昔ながらのテキヤさんの露天から、キッチンカーの飲食販売からオーガニックを扱うお店など、新しいお洒落なマルシェが増えてはいますが、ここバスティーユのマルシェは、庶民感覚で散歩を楽しみながら、一方でデパ地下にひけをとらない日常に必要な一級の商品がお洒落に並ぶ、こうした感覚や手法を日本でも真似ると、もっと集客が見込める(関係人口の創出による地方創生)のではないかと思料いたした次第です。