なにやらあわただしく移動の一週間です。
北海道から仙台を経て9月18日は大阪でヒアリングです。
かつて旧大蔵省の公益法人の勤務時代、長く銀行の救済に通った肥後橋です。
すっかり高層ビルに様変わり、昔からの建物は、淀屋橋から肥後橋へ抜ける途中の旧住友銀行大阪本店(三井住友銀行大阪本店)と交差点に佇む登録有形文化財になった法律特許事務所跡のビル二つだけのようです。東京も激変ですが、この度、札幌、仙台、大阪とどこも高層ビルのラッシュです。人口減少が嘘のようです。
さて、久しぶりに、淀屋橋南詰にある、大正7年(1918年)に現在の民生委員制度の礎となる、方面委員制度を導入した大阪府第15代知事である林市蔵の記念像にご挨拶です。
「民生委員の父」と呼ばれ、理髪店から市蔵が見た貧しい母子が制度の出発点になったといわれ、像は林翁が和服で整髪中の姿です。
ヒアリングを済ませて、難波へ移動、近鉄特急で、奈良を抜けて、三重に入り、津市で下車しました。三重大学の松田裕子先生を訪ねました。副学長や社会連携業務をされている折に、少し体調を崩されたと聞き見舞いました。幸いにお元気そうで安堵いたしました。逆におもてなしを頂き、恐縮いたしました。仕事をすっかり忘れて、思いがけず笑いに包まれる幸福な時間を頂きました。共に社会や命の死線を越えた者、その川を越えようとする者同志の会話には笑顔があることを、手作りのお菓子を頂きながら噛み締めたありがたい時空の調べでありました。地方創生の旗手と申し上げるにふさわしい先生ですので、一日も早い全快を祈念いたしました。そして、お互い光あるうちに光あるなかを歩むことを誓い合いました。
夕方、名古屋へ入り、夕飯は、名古屋名物「あんかけスパゲッティ」を頂き、また、世界の山ちゃん本店で、八丁味噌の煮込みと手羽先を注文、ノンアルビールで一息つきました。名古屋のテレビ塔の青い色が、札幌のテレビ塔の赤と好対照でした。
翌日、9月19日、きちんとヒアリングを続けさせて頂き、今回の4泊5日の強行軍でのヒアリングは終了です。
岡山へ引き上げるに際して、これまた久しぶりに、名古屋名物鰻のひつまぶしで仕上げて、新幹線で帰岡することができました。流石に気は若くても体力の限界を感じたヒアリング活動でした。その内容を原稿に書きまとめる作業を平行しましたので、目の疲れもかなりです。
身体は正直だと改めて感じた次第です。
ともあれ、どの街、どの人にも深く感謝の取材旅でした。
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