函館現地調査②


朝から函館市役所を目指しました。
黄色の待宵草とピンクのつつじが満開でした。
ここで待ち合わせをいたしまして、東京から到着する末宗徹郎理事長はじめ、ふるさと財団の一行を函館空港で大泉潤市長と共に出迎えました。大泉市長は、秘書課のご経験も長いと伺いましたが、誠に穏やかで明るく、そしてちょっぴりしゃれっ気もある気さくな方でした。到着までのしばらくの時間、歓談をさせて頂きました。弟さんが俳優の大泉洋さん、お顔立ちも似ておられました。というより兄に弟が似ているといった方が正確かもしれません。
さて、同じ便で、阿部俊子文部科学大臣も到着され、SPがいたのに納得しました。
無事に一行が到着され、末宗理事長と大泉市長が挨拶を交わされました。
こうしてふるさと財団の函館市公式訪問がスタートです。
二日間のご案内役は、農林水産部農務課の毛利隆志主査と小笠原康太主事が担当くださいました。心憎いまでの、とても丁寧なご対応を頂くことになります。

最初、函館空港から昨年開通した北海道新幹線の新函館北斗駅までを短時間でつなぐ高規格バイパス道路を利用して、新函館北斗駅まで参り、車窓から、駅とその周辺を視察いたしました。札幌までの延伸が待たれますが、大泉市長は、同駅からJR函館駅まで新幹線をスイッチバックで乗り入れる政策を公約に掲げておられるとお聞きしました。
さて、昼食タイム、名物のスープカレーの名店「RAMAI」へご案内頂きました。チキンの辛口を頂きました。野菜の盛が綺麗で、スープの中にチキンが隠れていました。とても美味しく頂きました。函館市さんの粋な計らいにセンスの良さを感じました。

昼食を済ませ、一行は坂の街を見学、函館開港時代からの西洋文化の伝来を受け止めながら発展を続けてきた歴史と文化を拝見いたしました。
函館市では、函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区が有名です。これらの建築物は、明治、大正、昭和初期に建築された和風様式と洋風様式、さらに特徴的な建物が、和洋折衷様式の建築物です。1階は和風、2階が洋風といったレトロな建物があちらこちらで目をひきます。函館市HPによれば「函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区は、函館山山麓から港へ向かう斜面地に広がる西部地区の東端に位置しています。旧税関(現海上自衛隊函館基地)敷地に近い港際から元町公園に至る、幅36メートル、長さ270メートルの坂道である基坂から、旧函館区公会堂の一画、さらにハリストス正教会の一画を経て大三坂を下り、港際の煉瓦倉庫群の一角に至る延べ約1.5キロメートルのコの字形の道筋に沿った町並みです。函館は、古くから天然の良港として知られ、海産物交易の集散地として栄えてきました。寛政11(1779)年、幕府はロシアの南下を脅威と捉え、蝦夷地を直轄領とし、函館に奉行所を設置しましたが、この場所が現在の伝建地区の中となっており、明治以降は、開拓使函館支庁が置かれるなど、政治、経済、文化の中心地となってきた場所です。幕末期の函館が大きく変化をしていくのは、開国による諸外国文化の流入であり、安政元年(1854)、日米和親条約の締結により、幕府は函館と下田の開港を決定し、乗組員の休養や物資の補給地として外国船が函館港に盛んに入港し始めるようになります。その後、米、蘭、露、英、仏の欧米5カ国と修好通商条約が締結され、安政6年(1859)に、函館は長崎、横浜とともにわが国最初の対外貿易港として開港します。この影響により、領事館が新築されたり、キリスト教会が建てられるなど、異国情緒豊かな町並みが形成されたのです。また、函館のまちは、しばしば大火に見舞われていますが、明治11年、12年に発生した大火に伴う復興事業により、函館の市街地の構造は根底から変わることになります。防火線街路として基坂、二十間坂を幅員20間(約36メートル)で拡幅整備したほか、直通街路を整備し、矩形の整然とした街路となり、現在の伝建地区の原形は、この時につくられたものです。それ以降、街区形態はほとんど変化がない状態となっています。明治以後もいくつかの大火がありましたが、大火後の復興でも、日本の伝統文化を表す和風の民家等のほか、開港以来の諸外国文化の流入とその影響を受けて、洋風の建物あるいは和洋折衷方式の建物が数多く建てられ、現在もその多くが当時の姿を残しています。このように元町末広町伝建地区は「函館発祥の地」であり、函館が最も著しい繁栄を遂げた明治・大正・昭和初期に形成された町並みが概ねそのままの形で継承され、これらが坂道、街路等と融合しながら、異国情緒豊かな町並み景観を呈しており、市民共有の貴重な財産となっています。」と紹介しています。

例えば、港に沿って並ぶ、保存計画番号1のBAYはこだて倉庫に代表される金森倉庫、そして、函館ハリストス正教会復活聖堂は大正時代の建築で、昭和60年に国の重要文化財に指定されています。函館市によれば「2~3枚積の煉瓦壁の表面に、白漆喰仕上げとした美しいビザンチン様式で、屋根は木造小屋組の銅板貼りである。鐘楼の尖塔を含めて、6個のキューポラと十字架の付く形式は、日本で唯一のものであり、西部地区を代表する建物のひとつである。」と紹介しています。また、旧函館区公会堂は見事です。明治43年建設で、昭和49年に国の重要文化財に指定されています。同市によれば「正面にバルコニーを見せる木造洋風建築の典型的な建物で、両袖妻の唐草模様の装飾と正面玄関にあるコリント式オーダーの柱頭飾りの彫刻意匠も良く、ドーマーウインドーを設置している北海道独自の洋風スタイルである。」との紹介です。
さらにカトリック元町教会聖堂は、「大正15年に、聖堂のレンガ壁をRC補強したゴシック様式の建物で、外壁の仕上げは人造石¥洗い出し塗となっており、同年に建築された鐘楼、司祭館とともに異国情緒を醸し出している」との説明です。
興味深かったのは、東本願寺本堂です。大正5年建設の東本願寺本堂は、RC造平屋建てで、平成19年に国の重要文化財に指定されました。この東本願寺本堂は、形式は伝統的な寺院様式で、斗拱などはドイツ製ラスを使用しモルタルで仕上げられています。日本で最初のRC造寺院本堂であり、貴重な遺構であるとの位置づけです。
そして、大正2年建築の開港記念館(旧イギリス領事館)は、「昭和54年に函館市指定有形文化財に指定され、建物全体に装飾の少ない単純な意匠ながら、玄関庇の控えめなブラケット、半円形5連アーチのベランダ、中庭に面する半円形ア−チを架けた吹き放しのコロネードなど、モダンな外国公館らしい建物です。」と紹介されています。
最後に外人墓地まで、ご案内いただきました。ロシア正教の墓地など、まさに海外との窓口としての歴史を見せて頂くことができました。ご案内役の毛利隆志主査は、観光課にも在籍された経験をお持ちで、ガイド頂く内容も洗練されていて、一同は理解を深められたことに対して感謝の連続でした。

さて、元町末広町伝統的建造物群保存地区をあとにしました。
今回の調査の主目的は「函館市グリーン・ツーリズム」事業の展開状況を現地視察することです。函館市によれば「函館市は、農村地域の活性化を図ることを目的に、平成15年7月「農村地域活性化基本構想」を策定、施策展開の重点地域を亀尾地域に位置付け、農村地域活性化拠点施設「函館市亀尾ふれあいの里」を開設、その他の農村地域においても市と農業者等が連携を図りながら、農村地域活性化に資する各種グリーン・ツーリズム施策を展開してきたところである。こうした中、昨今では亀尾地域で栽培された酒造好適米を使用した日本酒を醸造する「酒蔵」の開設、桔梗高台地域ではフランスの老舗ワイナリー資本による「醸造用ぶどう栽培」、「ワイナリー整備」など、本市に「新たな農業資源」が創出してきたことから、農業を活気あるものとし、その持続的な発展や食産業を基幹に多様な産業と連携する「6次産業化」などにつなげていくため、各界各層の意見等をいただきながら新たなグリーン・ツーリズム施策を推進していくものである。」と謳っています。
そこで、まず、函館市亀尾地区にあります、「亀尾ふれあいの里」へ向かいました。この農園は、平成20年に開設した市民農園です。植付けから、草取り、収穫、脱穀までの稲作作業を一連して体験できる、全国的にも珍しい「市民の地酒づくりプロジェクト」の取り組みが進行中です。ご案内は、ライスファームHINATA 代表(酒米生産者・元ツーリズムインストラクター)の日向由友氏です。また、今回の再生事業で外部専門家としてアドバイスをしておられる北海道大学の石黒侑介総長補佐(大学院国際広報メディア・観光学院国際観光開発講座准教授)が出迎えてくれました。最近の主食用のコメ価格が高騰したことを受けて、酒米の価格が相対的に低くなったことを受けて、生産者への影響が懸念される中で、日向さんは、中長期的な視野に立ち、酒米の生産を継続してゆきたいと熱く語ってくださいました。また市民農園周辺では、日向さんが中心に栽培を続けている、酒米の生産状況等を視察させて頂きました。できることなら、さらに耕作放棄地などを交渉しながら引き受けて作付面積を増やしてゆきたいとの思いも語って頂きました。

そして、この函館山の酒米使って、銘酒の生産に挑む「函館五稜乃蔵」を現地視察させて頂きました。この酒蔵は、旧亀尾小中学校の跡地を活用して、54年ぶりに開設した酒蔵で、入り口には小学校の校歌の額が掛けられていました。ここでは、北海道での酒造りの経験知を活かしながら、地域の酒米を使った清酒の生産や地域密着型の販売などに取り組まれ、実績をあげつつあります。その実績とは、毎年札幌国税局が主催する日本酒の品種鑑評会でも高い評価を得て続けていることで実証済みです。函館五稜乃蔵㈱の酒井剛営業部長がご案内役をしてくださいました。麹の香りがほのかに香る施設では、清潔で近代的な機械と伝統的な杜氏が北の大地で培ってきた技とが、見事なハーモニーを奏でているかのような印象を持ちました。純米吟醸を土産に頂きました。また、ご提供いただいた酒アイスクリームは、これまた絶品でした。

そして、初日最後の視察先は、成城石井と契約をしているとのご説明を頂きましたが、青々とした見事なブランドアスパラガス「海の神」のハウスを見学させて頂きました。ご案内は、農事組合法人函館つるの生産組合の大槻幸司代表に頂きました。大槻代表からは、気候と季節性を重視して、年に2回の収穫を実施している点、アスパラガスは地下茎のため、かなり長い年数、収穫が見込める点、大きく太いブランドにふさわしい商品に仕上げるための工夫など、丁寧にご紹介いただきました。お父上からも、ここまで軌道に乗せるために幾多のご苦労を重ねられてきた思い出話と、今後の未来型農業への期待と希望を熱く語って頂きました。また、行政へのご注文もいくつかご指摘いただきました。

こうして初日の訪問を無事に終えて、ホテルにチェックイン、函館駅前の夕食会場へ向かいました。老舗の「いか清大門店」です。ここでは、田畑浩文副市長、鹿礒純志農林水産部長、中村農林水産部次長、石岡正直農務課長、外部専門家の北海道大学石黒侑介准教授がご参加され、皆様と腹蔵なく意見交換をさせて頂きました。
イカは不漁続きとのご説明でしたが、函館名物の新鮮なイカを賞味させて頂き、一同、お礼を申し上げ、引き続きの財団の支援をお約束申し上げました。

さて、夕食を済ませまして、函館山からの夜景観光に参りました。まさに日本を代表する夜景の景勝地であり、函館観光の中心的スポットです。海外からの観光客で、ロープウエイは、非常に混雑していました。車両の大型化や高速化など、様々な対策が講じられている様子を視察させて頂きました。ありがたいことに、幸いに、この時間帯は、お天気にも恵まれ、函館の夜景を目に焼き付けることができました。息をのむ見事な景色でした。
外国人観光客の方々は、歓声をあげながら、思い思いのポーズで、何枚も何枚も写真に収めていました。

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