伊根町訪問


GWの小さな旅は、かねてから妻が希望していた、妻の母方の祖父の生家、京都府伊根町を訪ねる旅といたしました。5月2日、早朝に岡山を発ちまして、山陽自動車道を神戸ジャンクションまでひた走り、そこからしばらく中国自動車道を岡山へ折り返すように走り、吉川ジャンクションから舞鶴若狭道へ入り、さらに京都縦貫道を経て、まずは天橋立を目指しました。飛び石連休の合間の平日であり、ほぼ、渋滞なく到着、天橋立を望むドライブインで昼食をとりました。昔ながらのオーソドックスなドライブイン施設で、お洒落感は無いため、レストランは、われわれのような年輩夫婦、高齢者を伴う家族連れ、そしてアジアからの外国人観光客が主でした。小職は、ご当地グルメの表示がありました「宮津焼きそばカレー」なる珍品を、妻は若狭鯖街道よろしく「焼き鯖定食」を注文いたしました。しばし、クルマを停めて天橋立を眺めてから、一気に生家を目指しました。
生家の所在は、京都府与謝郡伊根町本庄浜です。ご当地伊根町は「京都府北部、丹後半島の北端に位置し、東から北は日本海に面し、南は宮津市に、西は京丹後市に隣接しています。豊かな自然に恵まれ、舟屋と伝説に彩られた町です。平成17年に重要伝統的建造物群保存地区に選定、平成20年に「日本で最も美しい村」連合へ加盟しています。この連合は、フランスで行われている「フランスで最も美しい村」活動をお手本に、小さくても素晴らしい地域資源を持つ村の存在や、美しい景観の保護などを 目的に、2005年10月に発足しました。この活動は日本のほかに、ベルギー、イタリア、ドイツ、カナダなど世界中に広がっています(伊根町ホームページより)」と紹介されています。岡山県では、幾度となく学生や留学生たちが、お世話になっている真庭郡新庄村が、この「日本で最も美しい村」連合に加盟しています。
さて、前回、小職が単独で生家探索に出向き、電車と汽車、そしてバスを乗り継ぎ、探し当てたときより、空家に変わりはないものの、誰かが住んでいるのではと思わせる、心なしか綺麗な印象を持ちました。その訳は、ガラス越しに家屋が覗けまして、旧家のため玄関を入った直ぐが、広い土間になっており、そこに何本もロープが渡され、洗濯バサミのようなモノが等間隔にぶら下がっている様子を見ることができたためです(前回は無かった)。直ぐ傍が海であり、漁業が生業の集落と言えますので、魚やイカとかを干物にするための天日干しの用具であると推察され、平素は外で干す作業中に、急に雨が降り出した場合など、ここを利用しているのかなあと想像しました。妻は、感慨深そうに家の周りをまわり、写真を何枚も撮っていました。妻の兄姉は70歳をとうに超え、関東在住ですので、ここまで来ることができないとの思いから、当地の様子を兄姉に伝えようとしているのであります。祖父は、この田舎から早稲田大学へ進学(卒業証書が大隈重信名であります)、当時の三菱銀行へ入行、以来、多忙な東京生活が中心だったようで、孫を連れて郷里の伊根に帰ることは、無かったようです。そして、「丹後天橋立大江山国定公園」に指定されている、若狭湾の最先端に位置する本庄浜へ出まして、日本海を眺めておりますと、浜の一番先の方に墓群があるのを見つけました。関係者以外、立ち入り禁止のロープが張ってありましたが、広義の関係者として参らせて頂きました。嬉しいことに同性のお墓の数が一番多いことを確認することができました。ここに眠る人たちと妻は、たぶん遠い親戚として血縁がつながっているのだと想像いたしました。若狭湾に寄せる波を眺めながら、浜にしばらく佇みました。
生家を後にして、近所にある京都府第三二五番の表札が掲げられた曹洞宗延命寺へお参りしてから、浦島太郎伝説で有名な「浦嶋(宇良)神社」(主祭神は浦嶋子:浦島太郎)へ参拝させて頂きました。同社によれば「当社は浦島太郎発祥の社で、浦嶋神社、または宇良神社ともいう。我が国に伝存する最古の正史「日本書紀」には当地の浦嶋伝承が記され、その伝承は、今なおこの地に脈々と受け継がれている。」とあります。お参りを済ませてから境内をひと回りさせて頂き、妻は御朱印、小職は浦島太郎の絵馬を記念に求めました。
それから重要伝統的建造物群保存地区「伊根の舟屋」へ取って返し、「伊根湾巡り遊覧船」KAMOME6号に乗船、湾内から舟屋群を見学させて頂きました。伊根町観光協会のホームページによれば「舟屋とは、もともと船を海から引き上げて、風雨や虫から守るために建てられた施設。昔は漁で木造船を使用していたため、それを乾かす必要があったのです。船を収納する一階に対して、二階はかつて網の干し場や漁具置き場として使われていました。二階のつくりも今のようなしっかりとしたものではなく、板を渡しただけの簡単な構造のものだったようです。」とあります。現在、かつての木造船は少なくなり、舟屋の使い方には変化もあるものの、約230の舟屋が現存するそうです。遊覧船の客のほとんどは、中国からの団体客の皆さんでした。京都市内だけでなく、天橋立から更に奥に位置する伊根までインバウンドの波が押し寄せていることに、やや驚きを隠せませんでした。さて、25分の遊覧時間はあっという間でした。と申しますのも、カモメとトンビの群れが、餌を求めて次々と船上へ飛来します。野生の鳥に餌を無尽蔵に与えてよいのかどうかは、門外漢ですので分かりませんが(北から飛来する野鳥から鳥インフルエンザの感染が指摘されているため、観光役による餌付けは生態系に悪影響を与え、人への感染可能性を高めるとの見解があります)、舟屋を遠望して楽しむというよりは、鳥たちが飛来する様に興奮して、気をとられている間に帰港した、といった印象でした。こうした体験は、かつて北海道ウトロから乗船した知床半島遊覧船以来でありました。
ともあれ、誠に心に残る伊根町でありました。

[関連リンク]