玉島円通寺とまちづくり談義

母の葬儀でお世話になった倉敷市玉島の円通寺さんへ、母の没後100日供養に参りました。葬儀では、新型コロナ禍の影響で、愛媛の菩提寺から僧を招くことも出来ず、宗派が曹洞宗のため岡山でお坊さんを探したところ、快く玉島円通寺の29世現住職である活龍哲明(仁保哲明)和尚がお引き受けくださり、心を込めた読経を頂き、大変にお気遣い頂きました。

ここ円通寺は曹洞宗の名刹、かの良寛和尚が長く修行を積まれた瀬戸内を眺める由緒あるお寺です。円通寺のHPによれば「円通寺の山上、石組の庭と葦屋根の荘重な伽藍が配置された境内は、訪れる者に、精神世界への自らなる敬仰の念を抱かせる場として久しく伝えられております。昭和43年には名勝地として岡山県の史跡指定をうけ、また全山は倉敷市営の円通寺公園として近隣諸県にその名を知られております。円通寺の歴史は古く約1200年前、現在の倉敷市玉島の地に行基菩薩によって星浦観音の霊場が開創され、 その後、元禄11年(1698年)徳翁良高禅師によって曹同宗寺院として開山されました。爾来300年、代々の住職には名僧多く特に第十世大忍国仙和尚の代、若き日の聖僧良寛様が22才から十数年 修行された禅寺として、当山は生地越後(新潟県)のみならず全国崇敬者の間に広く知られております。 」とあります。さらに「越後生まれの良寛は二十二歳から三十八歳頃まで円通寺で修行、その後全国を行脚して聖僧と慕われています。十一世玄透即中和尚は後に永平寺五十世として本山の中興の祖として仰がれました。」と良寛和尚の修行を紹介しています。

7月11日、小雨交じりの中を訪ねました。お線香とろうそくでおひかりを捧げ合掌、そして梵鐘をつかせて頂きました。余韻の長い味のある音でした。

そのあと広い境内を巡らせて頂き、瀬戸内を眺めながら一息つきつつ、母の供養をいたしました。

お休み処で良寛和尚の「良寛さんのいましめ」を見つけました。その良寛和尚の戒めを拝見、該当項目が多すぎて愕然となりました。

ほぼすべてに心当たりがあります。これは人としての修行が足りなさすぎであると自戒の念がこみあげて参りました。


さて、円通寺を後にして、久しぶりに沙美海岸まで足を延ばしました。

沙美海岸は「日本の渚百選」に選ばれた沙美海水浴場であり、瀬戸内海の穏やかな風景のなかで海水浴を楽しむことができます。現在は、コロナ禍の影響で海水浴場としては閉鎖されています。
しばしクルマを停めて、海岸で砂と戯れました。

雨に湿った砂地は、それはそれで趣があるものでございます。

気温が上がっている関係で、海岸線は、もやっとしています。

そして、ここ沙美海岸を見下ろす丘に位置する本性院を訪ねました。

ここでは天然記念物の「雨傘松」を拝観いたしました。

びっくりするほどの見事な枝振りに、良き目の保養をさせて頂きました。


ここまで見事に成長させるには、相当な世話をしなければならないのではと感心しました。

そして夕方、新倉敷駅前から徒歩で10分くらいにある「さぬき屋」で、玉島商工会議所守永一彦会頭(右:守永運輸(株)代表取締役)とKCMコミュニティメディア事務局(マスコミ代表)平井俊光さん(左)と待ち合わせして会食をいたしました。

3名は、倉敷市第7次総合計画の策定委員であり、SDGsで総合計画を描く流れで検討が進む中で、各人の感想や今後の策定手法についての意見交換会でした。

SDGsに関する市民の皆さんへの理解・啓発・浸透を如何に進め、また計画遂行にあたり、画餅にならないように、実りある結果検証の在り方について、突っ込んだ本音の談義をさせて頂きました。

久しぶりの力が入った議論に満足の時間でした。