緊急事態宣言中です。
極力、外出は控え、宣言解除までステイホームを心掛ける必要があります。
いわゆる「巣ごもり」を守る期間です。
朝昼晩の三食を自宅で作り、一歩も外出しない日も当面は日常の風景となりつつあります。
連日、三食を自宅で作る習慣は無く、自分にとっては初めての経験です。
一方で、不要不急の外出が規制される中で、散歩やジョギングなど、「三密」に気を付けながらのメンタルケアは大切だと言われています。
岡山市内の中心市街地には、規模の小さい児童公園や西川緑道公園界隈を除くと、樹木・緑が極めて少ないのが都市の現状です。
また、後楽園が観光受入自粛により入園禁止になるなど、岡山市民が気分転換のために広い公園に行こうとすると、旧建部町、旧御津町を別とすると、護国神社から操山公園にかけてのエリアがありますが、総社市に隣接する足守方面や玉野市に隣接する海の方に行かなければ、「三密」を避けられる環境を持つ、まとまった緑に恵まれたエリアを持つ公園に出会えません。
中心市街地からは、徒歩や自転車では距離があり、バスやクルマを利用しないと行くことはできません。バスや列車での移動は大切ですが、現在は「三密」のリスクが指摘されています。そこで、なるべく時間がかからなくて(遠出でない)、普段から人があまりいないポイントまで非接触を守りながら、気分転換のちょっとした時間を楽しみ、帰りに生活に必要な買い物や必要な用事を済ませるとした、徒歩、自転車あるいはマイカーの近所利用によるライフスタイルやライフラインの確保が、当面の過ごし方だと考えます。
こうしたなかで、自宅からクルマで30分ほど、自転車だと1時間ほどで行ける、お気に入りの散歩コースが、岡山市の隣の総社市にあります。
このブログでも何度か紹介させている備中国分寺は、岡山県の中でも一番お気に入りのスポットです。
今回の目的は散歩です。
国分寺の東側に、普段からあまり人が訪れないエリアである備中国分尼寺跡が広がります。
天平13年(741年)、聖武天皇が全国に詔勅を発し、全国に国分尼寺が建立されました。ここはそのひとつです。
この周辺を散歩するのが大好きです。
備中国分寺に比べてマイナーなため、この日は近隣の方々だと思いますが、新緑の季節、新型コロナウイルス禍に注意しながら、普段着でマスク着用にて散歩している方々をお見かけしました。
つまり、平素から備中国分寺を訪れる人は多いのですが、備中国分尼寺跡は、建物はありませんので雑木林になっているため、あまり人が来ない癒しのスポットとなっているのです。
こうしたエリアは人口が驚異的に多い東京の生活ではありえないでしょう。
まさに「岡山に住む魅力=価値です」。
備中国分尼寺跡の解説看板によれば、「その広さは東西108m、南北216mで、土塁、礎石の一部が現存、天平時代の伽藍は、南大門、中門、金堂、講堂が一直線に配され、壮大な規模を誇っていた」と記されています。
残念ながら、南北朝時代の戦火で焼失し廃寺になったとのことですが、当時の大きな礎石が並ぶ様子をみますとかなり大きな建造物だったことが想像できます。
さて、ここには6世紀後半の築造と推測される「こうもり塚古墳」があります。
岡山県は、奈良県に続いて全国2位の古墳の多さを誇ります。
そのなかでも、こここうもり塚古墳には、巨大な石造りの横穴式石室があり、その規模は全国でも最大級であると言われています。
さらに、ここからすぐそば、東には全国第4位の規模を誇る前方後円墳である「造山古墳」、さらに西には「作山古墳」、南西には巨大な方墳で有名な「角力取山古墳(すもうとりやまこふん)」があるなど、古代吉備大国の中心地だと確信できます。
このように吉備王国の繁栄を偲ぶことができる、古くからの歴史に彩られた癒しのエリアなのです。
この周辺を普段よりは足早になりますが、マスク着用にて散策して気分転換、保存された旧家や旧山手村役場の庁舎でひと休みいたしました。そして地元JAの直売店で購入した「朝取りイチゴ」を縁側でつまみました。
ここは駐車場料金も入園料もありませんので、クルマで少し足を延ばせば、気軽に無料で癒しのひと時を過ごせるのです。
今日は、濃厚接触のリスクを避けて、いそいで歩きましたが、新型コロナウイルス禍が収束すれば、本当にのんびりと時間をかけて散歩したいと思います。
緊急事態宣言中の生活の基本は外出の自粛=ステイホームです。
それを前提として、「三密」に最大限の注意を払いながら、買い物や最小限の屋外での散歩などの気分転換は必要です。
人に迷惑をかけず、そして自らの命を守る行動が求められています。