春の授業と試験の終了をうけて、駆け足でいくつかの大学を訪問したり、大学関係者や新聞社の方とお会いしました。一度に駆け足で写真を添えて紹介します。
【7月25日】
夕方から慶応義塾大学三田キャンパスへ参りました。
福澤翁に御挨拶をして、中庭の見事な銀杏の下で缶コーヒーを頂き、帰りに「麻布ラーメン」にてシンプルながら上品な一杯を食しました。
【7月29日】
郷里の母を病院へ連れてゆくため四国へ帰る途中で岡山大学へ立ち寄りました。農学部の実験農園からの眺めはのどかで、奥にみえる山々も大学の演習林だそうです。古い友人の小川秀樹先生の研究室を訪ねました。岡山駅で讃岐うどんを頂き瀬戸大橋を渡り帰省いたしました。
【7月31日】
▲ 村林聖子先生と記念写真
恒例の豊田市「豊田おいでんまつり-花火大会-」へ同僚の矢部隆先生、村林聖子先生、山本達三先生、谷口功先生、大崎園生先生、そしてこの4月から名城大学へ移られた庄村勇人先生と参りました。村林先生と山本先生の奥さまの手料理、そして谷口先生が冷たい飲み物をご用意してくださいました。
今年は東日本大震災の影響が心配されましたが、被災地への復興に向けたエールを送る意味も込め「絆(きずな)」をテーマにした開催となりました。また、私事ながら、実は家族の事情で9月末にて大学を退職して郷里に帰らねばならず、そのお話を同僚の先生方にお伝えいたしました。大学へは6月末日に退職願いを提出していたのですが、学事の都合でオープンにするのがひと月遅れとなってしまいました。
駅までの帰り道の途中で、村林先生に御無理をお願いして記念写真を撮ってもらいました。思えば4年半の豊田市での教員生活でしたが、得難い経験を積むことができました。先生方や学生、そして豊田市や地域の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。生涯の思い出となる花火大会でした。
東日本大震災で亡くなられた方や被災された皆さんへのレクイエムとして打ち上げられた花火の動画をアップします。
【8月1日】
ゼミ生の石原君と学内で「逢妻地区新ヒヤリハット地図」の原稿作りを行い、若手の先生方が春のお疲れ様会と称してバーベキューをしている席を覗き、そのあと逢妻地域会議の会長さん達と豊田駅前で暑気払いの会をいたしました。この席にても退職の件を地域の皆さまにお伝えいたしました。みなさん、とても残念がってくれました。
【8月4日】
東京大学の鎌田実先生からの御紹介で、集団登校による通学路の安全について取材を受けるため竹橋にある毎日新聞社の生活報道部に田村佳子記者を訪ねました。集団登校の列へ車が突っ込み一度に大勢の子どもたちが怪我をしたり命を落とすという事故が後を絶ちません。小学生の集団登校のメリットとデメリットについては、欧米では親が学校まで送り迎えをすることが一般的であることもあり、議論をむつかしくしている点があげられます。
90分ばかり話し込んで、そのあと時間があったので、徒歩にて丸の内の東京海上日動リスクコンサルティングへ向かい、30分ほど御挨拶に立ち寄り自動車グループの皆さまに退職の件をお伝えいたしました。お濠周辺の景色がしばらく見ないうちに様変わりしているのに驚きました。
【8月5日】
旧知の友人である京都大学の川北英隆先生、中央大学の大野薫先生、根津育英会(武蔵大学・武蔵高校)の小林米三専務理事と4人で暑気払いをいたしました。小林氏が6月18(土)・19(日)、大阪プール(50mプール)で行われた大阪マスターズオープンスイムミートという年齢別種目の大会で、武蔵高校OB2名を含む4名が、240歳~279歳区分で400mリレーで世界新記録と日本新記録を、800mリレーで日本新記録を樹立し優勝した(水泳シニアの部で世界記録を出した)という快挙を成し遂げた話題で大いに盛り上がりました。
彼は東大水泳部(日本興業銀行)の出身でありますが、現在も校務多忙ななか練習を続けられていて、その成果が実を結んだことになります。ただただ脱帽です。また、川北先生が日本生命を途中退職されて教員として京都へ移られる折に頂いた百日紅がちょうど満開でしたので、その当時の懐かしい話にも花が咲きました。最後に小職のこれからについてもみんなで励ましてくれました。
【8月6日】
トヨタ自動車佐藤則明部長と6月末に実施した欧州交通環境調査に関して同社が主催するモビリティ研究会での報告予定や報告書の内容について打ち合わせを行いました。Oxford大学とフランスナント市について担当する予定ですが、なかなか筆が進んでいないことをお詫びしました。また、退職の件もお伝えいたし、これまでの豊田市での活動を振り返りながら、その労をねぎらって頂きました。心から感謝の念でいっぱいです。
【8月7日~10日】
九州大学経済学府マネタリーカンファレンスに参加しました。小職にとって博士課程での初めての研究計画の報告でした。
7日のお昼に羽田空港まで送ってくれた妻や娘たちと東京湾野鳥公園に立ち寄って散歩をしました。天を突く入道雲と蝉しぐれが夏の盛りを感じさせてくれました。猛暑のなかですが木立のしげる散策路は涼しく1時間程度ながら気分転換になりました。夜に博多に着きまして、この春から福岡で西部報道センターの次長(デスク)として赴任されている朝日新聞の藤崎昭子さんと食事をご一緒いたしました。朝日がよく利用されるという天神の裏路地を入った「あかねや」なる小料理屋にご案内頂きました。旬のイカ、サバ、そして柳川のウナギなどを御主人が手際よく調理して、奥さんがお客の話し相手をしてくれる気さくなお店でした。
▲ 山村延郎先生と記念写真
8日朝から九大箱崎キャンパスへ向かいました。指導教官である川波洋一先生の門下生にあたる先生方が全国から勢揃いしておられ、修士課程と博士課程の学生の報告にコメントをされながら、教員相互でも意見を交わし合いました。それぞれの報告の総評を川波先生が丹念にされてゆきます。また、9日の夕方からはアサヒビール園を会場にして懇親会も開かれました。幹事を務めてくださったダスティン・ブルワーさんに感謝です。2次会は博多駅前のもつ鍋屋に移り盛り上がりました。
さて、小職の博士論文のテーマは「金融の自由化がもたらす労働金庫の協同組織性と業務展開に関する考察」(仮題)です。今回は、その執筆に向けた問題意識(オリジナリティ)確認のための小論として-労働金庫にとっての「リレーションシップバンキング」の必要性(草案)-を最終日の8月10日13:30~17:30の持ち時間で報告・討論となりました。先行研究に関する文献研究、欧米における協同金融の歴史と現状、決算書・財務諸表を用いた実際の経営分析、この3点が弱い点を討論者をお引き受け頂いた拓殖大学の山村延郎先生や川波先生をはじめ多数の先生方からご指摘・ご指導いただきました。
50歳を過ぎ研究者としての盛りは終わっているかもしれませんが、道は険しいながら、やれるだけチャレンジすることを改めて心に誓いました。きちんとした研究者として議論の機会を与えてくださいました川波洋一先生と拙い報告内容にも関わらず、温かいアドバイスをくださった大勢の先生方に感謝です。
一人でお酒はめったに飲まないのですが、なんだか無性にうれしくて、福岡空港で飛行機を待つ間、カラシ蓮根をつまみに生ビールで乾杯いたしました。
【8月11日】
お昼に神田駿河台にある全国労働金庫協会総務人事部を訪問いたし、下期の研修講師の打ち合わせを行いました。9月1日には学外研修講座の講師として同協会と東海労働金庫から2名の講師に来学頂くこととなりました。また人事教育ご担当のみなさまに退職の件をお伝えいたしました。今年度一杯は、予定通りの日程で講師を務めさせていただくこととなりました。
この日は長女が子供たちを連れてお茶の水に来ていたので、少し遅い昼食を「山の上ホテル」でいたしました。今年は家族にいろいろな出来事が起こりましたが、東日本大震災のことを思うと些細なことであります。