広島県府中市訪問(10月21日の②)

市長室をあとにして、初日訪問で地域再生マネージャー事業の核となる上下町へご案内頂きました。訪れた旧上下町は、「広島県福山市からJR福塩線に乗り、途中駅の府中で列車を乗り継いで約1時間30分、福塩線で最も高い場所にある駅で、標高は383.7メートルで、それほど高い場所にあるわけではありません。町の由来は、先ほどの紹介にある通り「分水嶺」と呼ばれる、水の流れが分かれる山脈の上の境目に位置するため、この町に降った雨は一方は江の川になって日本海(上)へ、もう一方は芦田川になって瀬戸内海(下)へと流れるから「上下」という町の名前になったと言われている」そうです。

この上下の町は現在でも美しい町並みが残っていることで知られ、江戸時代、世界の銀の1/3を産出していたという石見銀山から瀬戸内海へ続く銀山街道の宿場町で、石見銀山からの銀の集積中継地となっていたため、幕府直轄の天領となり、代官所も置かれていました。最盛期には町には33軒もの金融業者が軒を連ね、のちに酒、醤油などの醸造業をはじめとするさまざまな商人も集まり、町は大いに栄えた、と言われています。上下のメインストリートには現在でも白壁やなまこ壁、格子戸といった格式のある懐かしい町並みが続きます。


まず、大正時代に建てられ、芝居や映画などの上演が行われていた劇場「翁座」へご案内頂きました。大きな木造の建物であり「映画実演」(「映画」と「実演」の意味は映画も演劇も兼ねるの意味)の看板が目を引きました。小職も子供の頃に父に地元の劇場(愛媛県旧小松町「こまつ座」)へ連れて行かれた記憶があります。古いアルバムには父が女形を演じた写真が残っています(笑)。こうした芝居を上演する劇場は全国にあったと思料しますが、映画が全盛となり、劇場が映画館にとってかわられる歴史の中で幕を閉じて行ったと考えられます。そんな中で、ここ「翁座」は、裕福だった町の有志により建てられた歴史ある劇場のひとつとして、2010年まで開業していたとのお話に驚きを隠せませんでした。


お二人の女性コンシェルジェにご案内頂きました。ご説明によると「翁座は京都にある演舞場、南座を参考に設計されたもので、人力で動かす回り舞台や手掘りの奈落も現存し、館内も客席も非常にクオリティの高いもの」だったそうです。実際に修復された花道はじめ昔のままの奈落や舞台裏の控室などを拝見させて頂きました。数多くの一座や演者が、満員の観客を迎え、演目にあわせて大道具小道具を準備、化粧を施し衣装に着替えて本番に臨むため呼吸を整えたのだろうと想像しますと、かつての町の繁栄にまで思いを馳せることができました。また、色あせてはいますが、古い映画のポスターも残っており、自分自身の幼い日の思い出を懐古することができました。

翁座をあとに、末広酒造資料館では膨大な骨董品の数々を、そしてメインストリートでは、国の登録有形文化財に指定されている洋館づくりの旧片野製パン、屋根の上に火の見やぐらが明治時代の姿のまま残る旧警察署、鉄格子が入った幕府の公金を扱う「掛屋」であった「旧田辺邸」、明治時代に財閥の蔵として建築された建物で独特の趣を持つ高い塔のある戦後キリスト教会に転用された「上下キリスト教会」、田山花袋の小説「蒲団」のヒロインのとされる女流文学者・岡田美知代の生家で、現在は歴史文化資料館となっている旧岡田邸など、様々なスポットへご案内頂きました。


理屈抜きに石見銀山の繁栄を肌で感じ、偲ぶことができました。このように白壁の町並みが続く風情ある通りが続き、また、かつての豪商の敷地や建物は、途方もなく広すぎて驚きを隠せませんでした。この江戸の繁栄も明治、大正、昭和、平成、そして令和と時代は流れ、人口減少による限界集落化、空き家の増加はもとより、後継者難と建物の老朽化が進み、店舗の閉鎖や保存コストの増大に大きな課題を抱えています。このままですと貴重な歴史的遺産は消滅してしまう危機に瀕していると言って過言ではありません。


一方で、旧家を改造して「泊まれる町屋 天領清上下」をオープンさせています。素泊まりながら既存の宿泊施設との競合を避けて、1人目は8,000円、2人以上は4,000円の宿泊料が設定されています。見事な古い佇まいを残しながら室内はモダンなデザインが施されています。岡山県では宿場町を活かした矢掛町の「矢掛屋」を思い浮かべました。このような新たな取組もスタートしています。同時に地域資源の調査と磨き上げ、インバウンドモニターツアーや商談ツアー、農泊推進事業などの取組みも進んでいます。

こうしたなか、ここ上下町を国から重要伝統的建造物群保存地区にするための試みがスタートしています。重要伝統的建造物群保存地区は、文化庁によると「昭和50年の文化財保護法の改正によって伝統的建造物群保存地区の制度が発足し,城下町,宿場町,門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られるようになりました。市町村は,伝統的建造物群保存地区を決定し,地区内の保存事業を計画的に進めるため,保存条例に基づき保存活用計画を定めます。国は市町村からの申出を受けて,我が国にとって価値が高いと判断したものを重要伝統的建造物群保存地区に選定します。市町村の保存・活用の取組みに対し,文化庁や都道府県教育委員会は指導・助言を行い,また,市町村が行う修理・修景事業,防災設備の設置事業,案内板の設置事業等に対して補助し,税制優遇措置を設ける等の支援を行っています。令和3年8月2日現在,重要伝統的建造物群保存地区は,104市町村で126地区(合計面積約4,023.9ha)あり,約30,000件の伝統的建造物及び環境物件が特定され保護されています。」と説明しています。

広島県では、福山市の鞆の浦や広島市の宮島など、岡山県では倉敷市の美観地区や津山市の旧出雲街道のまちなみ保存をめざす城東まちなみなどが有名です。

地域再生マネージャー事業では、地域再生マネージャーとして外部専門的人材を活用して頂く予算を支援することにより、 一般社団法人 九州のムラの養父信夫代表理事と観光・地域づくり事業担当の泰永幸枝さんが外部専門家として、事業の推進役をつとめられます。HPによれば、「九州のムラは、主に九州地域のグリーンツーリズムを含めた観光・地域づくりの推進を5つの事業を通し実践しており、“ムラの生命(いのち)をマチの暮らしに、マチの活力(ちから)をムラの生業に” を理念に、マチとムラの交流による、観光・地域づくりを実践、地域に新たな生業を創出するために、都市部との交流・連携を展開し地域の経済基盤を構築していくことを目指しています。」と謳っており、すでに養父さん達は、地元上下町と人間関係を作られており、具体的なアドバイスを始めています。
こうして、ふるさと財団としても、上下町の「重要伝統的建造物群保存地区をめざす」活動のお手伝いをしてまいります。

さて、上下町では、お茶をアンティークな品々が所狭しと並ぶ「上下画廊」で頂きました。店内には骨董品と共にひな人形が広い部屋いっぱいに並んでおり、来店者を皆、驚かせます。頂いたコーヒーも一杯一杯、丁寧に淹れて下さり、さだまさしさんなど有名人が、度々、訪問されていることが店内の写真で窺えました。

夕飯は、遊食「翁」さんへご案内頂き、大きな鮎の塩焼きと栗ご飯を頂きました。誠に落ち着いた雰囲気の店内は清楚で、まち歩きの疲れを癒してくれました。


夕食を済ませて、上下から府中市内への帰路の途中、協和地区にある協和公民館を目指しました。ここは伝統的な和紙の産地であり「阿字和紙」技術の伝承に取組んでおられ、その活動を支える一般社団法人協和元気センターの会議があるとのことで、企画会議に臨席させて頂きました。古老の和紙職人さんが頑張る姿をみて、若者7人が手をあげて、この阿字和紙を伝承、地方創生に役立てようとする活動を展開中です。協和元気センター田原輝巳会長の軽妙な講話をお聴きしながら、阿字和紙の歴史から技術の特徴、そして阿字和紙で作られた作品、製品の数々をご紹介いただきました。

とりわけ、サッカーJ1の川崎フロンターレの「フロ」と「風呂」をかけた、阿字和紙製の風呂桶には、笑いが止まりませんでした。そして木の桶を和紙で再現する技術の高さにも目を見張りました。田原会長の『技をつなぐには面白く取り組まねば若いモンは続かん』の言葉に感激、そして皆さんの、阿字和紙で地域再生を目指す取組への熱意に心打たれました。


小職からは、和紙の歴史や体験、様々な和紙製品の販売を展開しながら地方創生を目指している高知県の「いの町紙の博物館」と「道の駅 土佐和紙工芸村クラウド」をご紹介申し上げ、視察をお勧めいたしました。

余談ながら、会場となった協和公民館は、旧府中町立第四中学校であり、お借りした茶色のスリッパに府中第四中学校の文字が白字で刻んでありました。妻がかつて勤務した東京都府中市立府中第四中学校の思い出が蘇りました。東京都府中市立府中第四中学校は地方と比べるとマンモス校として現存します。東京一極集中による地方の人口減少過疎化の現実を、スリッパを見つめながら垣間見た思いでありました。

頑張れ阿字和紙、心の中で念じました。
誠に内容の濃い府中市訪問の初日でありました。
ご案内頂いた府中市や地元の皆様に心より深く感謝申し上げます。