師走ながら、休息の時間がとれましたので、12月17日の日曜日は、念願であった「津山まなびの鉄道館」へ出かけました。
国道53号線を走り、途中、久米南町にある誕生寺へ参りました。ここは、法然上人が誕生された聖地です。久米南町のHPによれば「浄土宗の宗祖、法然上人の生家跡に建久4(1193)年に建てられた由緒ある誕生寺。その境内のいちょうは上人のお手植えと伝えられています。その木の下に立ち、幾百年の時を越えた歴史に思いをはせることから、わたしたちの旅は始まります。法然上人が今から約830年前の承安5(1175)年に開いた浄土宗は、阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「なむあみだぶつ」とみ名を唱えて、人格を高め、社会のために尽くし、明るい安らかな毎日を送り、そして「往生(西方極楽浄土に生まれること)」を願う信仰です。その「他力」の新しい考えはたちまちに日本中の人々の共感を生むことになります。法然上人はその考えを万人に伝えるために自分がいると考え、その強い信念を普遍のままに生涯を過ごされました。」とあります。
門前は、すでに新年を迎える準備が整っています。本堂にあがらせて頂きました。また、鐘楼前の南天の赤が見事でした。他に参拝客も無く、つかの間ですが、穏やかに心を静める時間を過ごさせて頂きました。そして、仕事で度々津山へ参るたびに、立ち寄りたいと思っていた「津山まなびの鉄道館」へ参りました。HPによれば「1936年津山駅に造られた旧津山扇形機関車庫は延床面積2,527㎡、総工費は当時の金額で11万600円でした。機関車収容線数17は、梅小路機関車庫に次ぐ現存二番目の規模です。躯体は鉄筋コンクリート・フラットスラブ構造で、向かって右の低棟には道具置場、技工長室、修繕室、鍛冶場が置かれ、高棟は第1から第4、中棟には第5から第17の機関車収容線が敷かれていました。屋根高は低棟6,700mm、高棟8,450mm、中棟7,303mmで、第5線と第6線、第11線と第12線の間にはエキスパンションジョイントがあります。ジョイント部分で中棟は高棟に、高棟は低棟に乗りかかるように設計されています。エキスパンの役割は温度によるコンクリートの伸縮や地震による揺れの違いを吸収し、巨大コンクリート建造物を崩壊から防ぐことにあると考えられています。背面が広いガラス窓で覆っているのは、黒い蒸気機関車と煤煙によって暗くなりがちな庫内に自然光を取り入れるためのものです。それが扇形機関車庫の特徴です。」とあります。
歴史の重みを感じさせる施設に、鉄道ファンならずとも、公共交通の柱である鉄道、その人類が生み出した知恵の遺産を目の当たりにして感激でした。また、古い駅窓口を再現したコーナー、写真の展示や精巧に作られたジオラマでは、旧津山扇形機関車庫など津山のまちなみが再現され、模型の列車が走ります。また、丁度、正午に、昭和45年糸崎機関区(広島県三原市)を最後に廃車となったD51形蒸気機関車755号機の汽笛が「旅立ちの汽笛」として吹鳴されました。子供の頃の思い出が蘇りました。 昼食は、旧出雲街道の町並みが残る伝統的建造物群保存地区にある、古い町屋を改装した信州蕎麦「飛脚」さんで、津山名物の「牛そずり肉蕎麦」を食しました。そずりとは、骨と骨の間からそぎ落とした肉をさすとご店主が教えてくれました。 そして、津山市役所傍にある衆楽園(津山藩2代藩主・森長継が明暦年間(1655-1658)に京都から作庭師を招いて造営した近世池泉廻遊式の大名庭園)へ参り、冬景色に染まった園内をゆっくりと散策いたしました。園内のあちらこちらに、雪が少しだけ残っています。また、鴨や鵜などの野鳥が水をかいて泳ぐ様をしばらく眺めました。ここも訪れる人は少なく、津山藩主のお庭を独り占めしている贅沢さもあり、心を豊かにさせてくれました。そうこうしているうちに、時間が過ぎてしまいまして、約束の試合開始時間には間に合いませんでしたが、津山陸上競技場で開催されていた、吉備国際大学の女子サッカーチームで、なでしこリーグで活躍中の「シャルム」さんの応援に参りました。状況把握ができていないため、対戦相手側の席で、後半戦だけを独り見学させていただきました。
今日はオフのため、顔見知りの方にご挨拶もせずに、失礼申し上げました。試合は残念ながら1点差で負けてしまいましたが、積極果敢なプレーに元気をもらうことができました。年末の津山で過ごす自由時間は、1年の疲れを癒してくれ、良い気分転換ができました。