5月3日~6日のGW後半は、郷里の愛媛へ帰省いたし、実家の片付けを行いました。
祖母の代のモノは明治期に遡ります。実家は電気、ガス、水道を止めているため、西条市の旅の宿に投宿しました。
母校の近くとあって朝の散歩に母校を訪ねました。お濠にはツツジの花が満開です。大手門から郷土資料館など時間をかけて廻りました。また、久しぶりに瀬戸内海国立公園である東予国民休暇村の海岸や湯の浦にある四季の湯温泉で片付けの疲れを癒しました。
そして最終日には、かねてより見学してみたかった別子銅山跡に作られた「マイントピア別子」と昔の水力発電所を訪ねました。
マイントピア別子は本館2Fの「端出場駅」から、鉱山鉄道「別子1号」という列車に乗車、実際に利用されていた鉱山鉄道の軌道を走ります。長さは333mと短いながら、トンネルや鉄橋を渡る感動はひとしおです。また、見学コースとなっている、現在の観光坑道は、旧火薬庫を利用して作られており、江戸時代の鉱山の様子を再現した江戸ゾーン、そして廃鉱になるまでの近代の歩みが学べる近代ゾーンまで、豊富な鉱物資源や採掘の様子を記した道具類まで丁寧な展示になっており、別子銅山の全容を学ぶことができました。
また、会館の周辺は芍薬(しゃくやく)の花が満開で、併設されている別子温泉は、なかなか趣がある泉質であり地元の皆さんが早くから入湯していました。
また、さらに足を伸ばして東洋のマチュピチュと呼ばれる「東平(とうなる)地域」まで車を走らせました。途中の山道は、対向車と行き交えない箇所が何箇所もある険しいカーブが続きます。
そして標高750mの山中にある東平へ到着、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に休止するまで採鉱の町として大変な賑わいをみせ、現在は産業遺産として重厚な花崗岩造りの貯鉱庫や関連施設である東平選鉱場、東平と黒石を結ぶ東黒索道跡などが残っています。当時の写真から大きな集落を形成し隆盛を極めた様子が窺われました。ここ別子は、亡父がしばらく勤務していたこともあり、江戸から住友家を支えたゆかりの地でもあります。
活気あふれる見学施設や産業遺産に地方を元気にするエネルギーを感じることができました。