パリからナントへフランス国鉄(SNCF) の高速鉄道TGVで移動しました。
車窓からの眺めは、緑の牧草が広がり、牛や馬が草を食んでいます。2時間ほどの列車の旅ですが、あっと言う間に着きました。
10月27日は、おおよそ10年ぶりのナントとなり、駅に着いた途端に懐かしい気持ちになりました。ナント市は、フランス西部、ロワール川湖畔にあるフランス第6位の人口を擁する都市です。ナント市は23の近隣コミューンとともに、メトロポールであるナント都市圏共同体を形成しており、総面積は523.36平方kmで、人口は約67万人(2020年)であるため、今回の調査を経て、岡山市(人口約71万人)の都市交通政策との比較を調査研究する予定です。ちなみにナント市内の交通機関はナント都市地域交通会社(SEMITAN)によって運営されています。この交通ネットワークは2023年9月Naolibに名称を変更しました。
さて、ナントは、歴史的には、16世紀、カソリックとプロテスタントの間で激しい宗教戦争が繰り広げた最終段階で、ブルターニュがカトリック同盟の最後の州であり、ナントが同盟最後の都市であったことから、当時の王であるアンリ4世は1598年に有名な勅令(ナントの勅令)を宣言する都市としてナントを選び、宗教対立を終結させたことで有名です。
また、18世紀には大航海時代にイギリスが主体となり、アフリカやインドなどと3国間で行った貿易を「三角貿易」といい、そして、アフリカからは奴隷が輸出商品とされ、ここナント市も奴隷貿易の港として栄えた時代が続きました。三角貿易とは、2国間の国際貿易において、貿易収支が長期間不均衡だと、貿易赤字国から決済通貨が流出を続け、最終的に枯渇してしまうため、当該国は輸出商品の価格を下げて対応、貿易収支を均衡に向かわせる際に、輸出入の相手国は第三国を活用したため、その都市として海上交通の要衝であったナント市が発展したわけです。
ナント駅では、改札口まで通訳の沼口久美子さんが出迎えてくれました。前回も沼口久美子さんが通訳を担当してくださいました。この日は日曜日ですので、訪問先は休日のため、ホテルにチェックインしてから、ナントの地元料理を出してくれるレストランでランチをいたしました。海鮮メニューを中心に注文いたしました。懐かしい味が蘇りました。
腹ごしらえを済ませてから市内の公共交通システムの新たな取組みを見学視察いたしました。トラム(3号線:Orvanlt Morliére)やBRTとして運行しているBUSWAY(4号線:終点Porte de Vertou)、連節型バスのChronobus(C6)等に乗車して結節点の構造や終点の駐車場や商業施設との関係性を強化した基盤作りの様子などを確認いたしました。さらに自転車や電動キックボードの走る様子を他の公共交通や個別交通との混在移動の様子を観察しました。そして何よりもナント市は中心市街地に信号機がほとんど見当たらない都市です。その都市交通システムの創意工夫の先進性について確認いたしました。
夜は、ナント城近くにお住いの沼口久美子さんのご自宅にお招きいただき、馳走頂きました。手料理に、様々なチーズ、フランスパンと地元産のオーガニックワインを楽しませて頂きました。そして、フランス国の情勢からナント市の公共交通政策や都市計画、政治から税制など、多面的な視点で生のお話をお聞きすることができました。
本当に愉快な夜を過ごさせて頂きました。
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