この地区の山間は、地の利を活かしたブドウ栽培が盛んです。
GW以降、緊急事態宣言が継続中ですが、巣ごもり活動に少々つかれましたので、ブドウの若い青葉がみたくなり、一路、是里地区をめざしました。
まず、この地域の守り神となっている「宗形神社」にお参りいたしました。
ここ宗形神社は、岡山県神社庁によれば「当社は人皇十代崇神天皇の御宇勧請にして式内の旧社なり人皇十六代仁徳天皇吉備國海部直女黒比費を寵し本國山方に幸行さるるや黒比費帝を当社に奉迎し方物を採り敬饗し奉る帝欣然御製にやまかたにまけるあをなもきびびとともにしっめばたぬしくもあるか」と詠し給へり、是より以降今に至るまで諸人挙げて山方の大宮と称する所以なり、当時帝より宗形神社神領として神地三四町神月若干を附置かる、依て今に其の地名を京免及神戸と呼ぶ、後世慶長八年池田忠継公備前に封せらるるや深く当社を崇敬し全九年検地の節本村の内中田二反高三石弐斗社領として附置かれ明治四年玉りて止む、加之歴代の皇室御崇敬の余り神付従四位上に叙せられ後正一位に昇進贈位に預かる、現今の社殿は貞享四年八月世八日着手全五年五月十六日落成(棟札)の建築にして氏子及大氏人民の協力造営に係り当時の国主池田綱政公より再建費として玄米捨石下賜せられたり、往古氏子は七十五ケ村ありて其区域西南は旧赤磐群島月村(現岡山市)大字牟佐に至り東北は旧久米南條郡福岡村(現津山市)大字小布に至れりと云ふ、故を以て古へより古式祭には社家より神酒七十五樽・神韻1七十五膳・神餅七十五台・甘酒弐瓶を献供す、(現在は神酒二斗五弁・神僕七十五膳・神餅は分五合とし七斗を餅投げとしている)、明治十四年縣社に昇格せらる(現在一般的には社格は不問)。鳥居岡山県指定重要文化財(建造物)・本殿赤磐市指定重要文化財(建造物)」とされています。
また、赤磐市HPによると、「「延喜式」の神名帳にもその名が見られる三間二面流造り、絵皮葺の古社。鳥居(県指定)は、県内で3番目に古い年紀を残します。神社の裏にある竪穴は古代人の生活遺構といわれます。」と紹介されている由緒正しい神社です。確かに鳥居は1本の石を刻んで造られていることがわかります。表面はごつごつしていますが、そのいでたちは素朴であり、思わず手で撫でてしまいました。
以前、丁度1年前くらいの梅雨明けの頃でしょうか一度お参りしました。その時は枯葉で長い参道が覆われておりましたが、今回は参道がきれいにお掃除されていました。社には威風堂々となる「丸に三つ巴」の紋幕がかけられており、コロナ退散を念じ参拝を済ませ、誰もいない澄んだ空気に包まれた境内で、しばらく安息の時を過ごしました。社の改築でしょうか、ご寄進された皆さんの芳名が刻まれた石板に目をやりますと、赤磐市で名刺交換させて頂いた時に感じた、特徴のある名字が並んでいます。この地域に古くからお住いの由緒ある姓であると確信いたしました。
さて、宗形神社をあとに「是里むら」を訪ねました。
コロナ災禍、緊急事態宣言発令中ですので、「ワイン記念館」はじめ施設内は休館中であることは分かっていました。お天気は汗ばむくらいの快晴であり、ベンチで持参のコーヒーを飲みながら、静かにお花を巡る蝶や新緑の木々から聴こえる鴬の鳴き声を楽しませて頂きました。
奥の木立に囲まれたグラウンドでは、小学生たちが、指導員の方でしょうか、指導を受けながらバレーボールの練習をしている様子が遠望できました。コロナで思うように外出ができない子供たちを気遣っての屋外での活動でしょうか。子供たちを気遣う親心、ほほえましさが伝わりました。