新型コロナ禍と自治体や大学

今般の新型コロナ禍の影響を受けて、改めて大学で学ぶことの意義が問われています。

従来、岡山大学における「大学の課題」について議論した際に、指摘され、寄せられた意見や考えをまとめますと下記の通りです。

岡山大学は、組織として地域の課題解決に取り組んでいるでしょうか、学生は岡山大学で学んだことを社会で活かしているでしょうか、親や勤労学生は家計を切り詰め学費を工面するが、就職難でモトが取れないのではないでしょうか。

一方、学生の目線からは「大学生の特権」の活かし方が重要です。つまり、「大学生の特権」とは、義務教育課程と異なり大学時代は自由に自分の時間を組み立てられる点を如何に有効に活かすことができるかというテーマに帰着します。つまり、授業の合間を縫って、研究者を目指す、語学力を磨く、留学生と互いの国民性を理解し合う、部活やサークルに打ち込む、資格を取る、被災地支援ボランティアに参加するなどです。

もちろん、ゼミ、実験、実習、卒論など大学生は忙しいですし、社会人学生は仕事が中心なため、さらに時間的制約は一般の学生と比べてはるかに大きいと言えます。

いずれにせよ、こうした自分探しの時間を自由意思で生み出せる、そこが高校まで、そして社会人とも異なる特権であると言え、この「大学の課題」と「大学生の特権」の狭間に橋をかける方策の考案、それが「大学改革」であると言えましょう。
こうしたなかで、岡山大学は「どれほど豊かな教養と優れた専門知識があっても、それらの知識を自分の成長と社会、人類の発展に積極的に用いようとする気概がなければ、それらの知識は、無意味なものとなり、また困難な現実を打破することもできないでしょう。この気概の養成という教育課題について、大学は真剣に向き合う中で達成したい」と考えて大学改革「実りの学都構想」を進めてきました。

つまり、学生の皆さんが地域社会へ出て、自らが課題を発見、対話を通じて解決策を探究し実践展開する。仕上げに実践から得た「知」を専門分野から振り返る。こうした知行合一とも言える実践知から強靭な自己を確立、同時に人の意見に真摯かつ柔軟に耳を傾け集団行動ができる人材を養成が大切であると考えています。

換言すれば、世界的な視野で「晴れの国おかやま」を拠点として、世界中の学生が集い、共に気概に溢れる学生に育つ環境やプログラムを整え、提供できる大学づくり、それが岡山大学の考える大学改革であると言えます。

ところで、イギリスの小説家、ウェルズのSF小説に「宇宙戦争」という作品があり、小学生の頃に図書館で借りて読んで興奮したことを、還暦越えた今でも鮮明に覚えています。

文中には、異星人(巨大なタコ、火星人?)が地球を襲い、世界中を焼き尽くす挿絵があり、「なるほど地球人が存在するのだから、確かに地球外生命体も存在するだろうし、いつか突然に地球が襲われることもあるだろう」と恐る恐る子供心に確信したものです。

さて、この小説のオチは、人類は戦争を経験して開発した最新の軍事力を駆使して立ち向かうのですが、さっぱり効果がなくて惨敗、世界中が完全に征服されると絶望感に陥ったとき、なぜだか突然に異星人が自滅してゆくという筋書きです。

それは、異星人には、地球に太古から住んでいる目には見えないバクテリアに対する免疫がなくて死滅するという理由付けによる顛末でした(人が新型コロナウイルスで耐性がなくなり死に至るように、異星人がバクテリアに対する抵抗力や免疫が無くて自滅したのでした)。新型コロナ禍の環境で「この生命体にどう対処するか、これまでの人類の知的能力では、大変に困難な課題だという点」、そして「対象を自然環境から取り出し、分解・分析し、操作する自然科学的研究方法で対処できるか」という問いを恩師から提起頂き、この「宇宙戦争」を思い出しました。


現在、わたくしは、2011年11月20日に創設された「岡山大学地域総合研究センター」という、地域コミュニティにおける「市民協働」、「共存・共生」を考え実践するために、多様な人が集い、みなで熟議し、直面する社会課題を解決するために活動する組織を任されています。ここは通称「AGORA(広場)」と呼ばれ、設立趣旨を受け継ぎ、学生たちを守り、育てています。そこでは、教室ではなく地域社会を起点として、社会の様々な人が交わる様々な「AGORA」へ留学生を含む学生を積極的に送り出し、多様な先人の声に耳を傾け、自らも若さゆえの考えを堂々と述べ、そして「未熟でも必ず社会実装に向けた何らかのアクションを起こす」ことを約束として心掛けています(浅薄ながら知行合一の考え方です)。こうした活動も、この度の新型コロナ禍の影響で強烈な制限を課せられ、地域へ出かけることができないのが実情です。

例えば、私たちの記憶に新しい「平成30年7月豪雨災害」では、倉敷市真備地区が最も大きな災害を被りましたが、大自然を相手にした激甚災害・脅威と人類が如何に対峙できるかを、学生たちも地域のみなさんや関係者と共に現場で議論して、ボランティア活動を継続、その成果物として地域社会は住民が主体となり「地域オリジナルのハザードマップ」を完成させたりしています。ところが、われわれ市民には「激甚災害対策用のハザードマップ」は作れても、今回の新型コロナ禍では「新種ウイルス対策用のバイオハザードマップ」を作るすべが見当たりません(経験知としてありません)。

学生たちは、大学キャンパスでの授業はもとより、不要不急の外出を規制され、アルバイトも失い、毎日を悶々と過ごす中で、学生からは「私たちは、このバイオハザードを、どのように捉え、何をなすべきでしょうか」という質問が寄せられます。
本学は11学部で構成されていますので、大きく分けても社会文化科学系(教育含む)、自然・環境生命科学系、医歯薬学総合研究系があるため、それぞれの異なる専門の視点で、人類の限界性(気弱な発言)について、質問が出され、考え方について議論がなされます。

そしてさらに議論は進み「そもそも我々は大学で何を学ぶのか、大学とは何か」との問いにまで及んでいます。情けないかな、こうした学生たちからの質問に対して、小職は新聞やTVで報道されているレベルの情報での対応が精一杯です。

つまり「大学人」として答える能力が無い己のことを悔しく思いながらも、未来への希望を切り結ぶ力を養って欲しいと学生たちに訴求する毎日です。
(写真は、巣ごもり自作メニューと一部外食を楽しんだメニューを載せます。本文とは直接の関係はありません)