年越しそば

年末年始は東京の拙宅ですごしました。

岡山にいますと粋なお店がありますが、流石に関東と比べますと日本蕎麦のお店が少ないと感じます。そこで暮れの東京では、日本そばを中心に年を越すことにいたしました。

年越しそば第一弾は一橋大学傍の更科甚五郎にて大セイロを食しました。更科蕎麦ですので白い色が特徴です。盛りはボリュームあります。

メニューも多彩ですが、その中でも、菅原道真公の弟君が建立したと伝えられる谷保天満宮にちなんだ天神蕎麦が、大きなエビが二匹入った天ぷらそばとして有名です。

銀杏並木にネオンを飾った国立駅前大学通りの景観は、日本を代表する駅前の景観と言えましょう。特に地域の請願とJRの尽力により復元が進む旧駅舎の復活完成が待ち遠しい限りです。

年越しそば第二弾は4年ぶりに訪れた浅草にある並木藪蕎麦です。

12月30日は、午前中から東武鉄道大師線という一駅しかない路線に乗ってみたくなり初詣の準備に余念がない西新井大師へ出かけました。

確かに、東武東上線からの乗り換え口には、一駅だけの路線のため「改札はありますが検札はありません」との表示があります。

一駅乗ってから御大師様へ向かいました。池の鯉は元気そうで、手水の脚が唐子というのも珍しいと感じました。大きな本堂を眺めて、この1年間の無事に感謝いたしました。

帰りには山門から門前町をぶらぶらしました。昔ながらのお煎餅屋さんなどが軒を連ねていました。

西新井を後にして、一路、お目当ての浅草へ向かいました。4年前にも食しましたが、ここ並木藪は鴨南蛮蕎麦が絶品です。

あとセイロも注文しましたが、小さなザルを裏返した上に蕎麦が乗って運ばれますが、大人だと3口、4口でなくなるほど、ボリューム感には誠に乏しい、いわゆるコスパが最低(笑)の最高級と言われる藪蕎麦です。

熱燗を2合注文いたし、あてはネギ味噌です。日本酒を楽しんでいるうちに鴨南蛮が運ばれてきました。これはネギも鴨も十分に入っていますので、酒の肴につまみながら蕎麦をすすります。

お代は2,000円と庶民には高すぎますが、数年に1度しか来られませんので、まあ、暮れのせわしない喧噪や賑わいもお代の内だと思えば、浅草界隈の雰囲気を十分に楽しみましたので「満足」といたしました。

雷門から浅草寺の本殿まで長蛇の列が続き、とりわけ浅草の外国人観光客はとても多く、さらに気の早い日本人の若いお嬢さんたちが晴れ着を着て参拝する姿は、元旦の光景と言っても見分けがつかないほどの賑わいでした。

われわれも初詣ならぬ、この1年は厄年でしたので、無事に過ごせたお礼を兼ねた参拝といたしました。

そして参拝後に脇を抜けて浅草演芸場の界隈をぶらぶらいたしました。

浅草フランス座出身の俳優の写真が飾られているのを発見しました。

北野武さん、渥美清さん、井上ひさしさんらと並んで、倉敷市が生んだスター長門勇さんの写真を発見しました。

子供のころ父や祖母と時代劇を楽しみましたが、岡山弁をしゃべりながらの長門勇さんは、優しいながらも存在感のある俳優さんであった記憶が鮮明に残っています。

年越しそば第三弾は、大晦日に頂いた高尾山橋詰亭の天ぷらそばです。12月31日は、朝から中央線で高尾駅へ参りました。

高尾さんへは通常、京王線に乗り換えて、高尾山口駅へ参り、そこから頂上を目指すのですが、今回は久しぶりにJR高尾駅から甲州街道を歩いて、途中から裏高尾町の方へ折れて、小仏峠を目指す、高尾山の登山口まで約5キロを徒歩にて向かいました。

台風の影響による傷跡が残る登山口、いくつかのコースが通行止になっていました。

裏高尾の登山口から頂上までは、急こう配の道が続きます。

ちゃんとしたスニーカーで参りましたが、途中で息が切れ、ベンチがある都度小休止をしながら頂上を目指しました。
気持ちは「まだまだいける」と思っても、身体は正直で、普段、鍛えていないツケが如実に出てしまいました。

こうしてなんとか頂上へたどり着き、そのご褒美として眺めた大晦日の真白き富士は絶景でありました。

還暦を迎えて、徐々に無理はできなくなって参りますが、厳しいコースからのハイキングに自己満足いたしました。

下りはリフトで一気に下山して、橋詰屋で蕎麦を、さらに高尾饅頭を食してから、高尾山口の新名所「京王高尾温泉極楽の湯」で、汗を流してから帰宅いたしました。

ここの湯質はなめらかで、美人の湯的な肌触りの良さが特徴であると言えます。

こうして年越し蕎麦をテーマに暮れの三日間をすごし除夜の鐘となりました。

2020年が、災害の少ない穏やかな年となりますよう祈念しつつ令和元年が幕を閉じました。