宮本武蔵の里にて思う:美作市宮本地区

年が明けて、今年は寒い日が続きますので、外へ出るのがついつい億劫になります。
これではいけないと、岡山の未だ訪れたことのない土地をいくつか探索に参りました。
まず、剣豪、宮本武蔵を生んだ、美作市宮本地区です(兵庫県説も有力なようですが)。足を伸ばせば、鳥取県の県境が近いこの地区は、山あいに平野が広がり、湯郷温泉の賑わいを過ぎて宮本地区へ向かう沿道は、カーブを切るたびに、年代を経た立派な構えの家屋と長閑な風景が続きます。
この辺の皆さんは、何で生計を立てていらっしゃるのか、公務員をはじめとする公共サービス関係は別とすると、林業や農業を営みながら、それこそ湯郷温泉や美作市の中心街、さらに津山市の企業へ勤務しているのかなあ、と余計な詮索をしたくなりました。そのくらい、都市の喧騒とは無縁の風景と歴史の蓄積を伝える人の営みがそこにありました。
美作市宮本
 ▲ 美作市宮本地区
さて、当地の碑文によれば、宮本武蔵は、天正12年(1584年)、美作の国吉野郡宮本村に平田無二斎(平田説ではなく新免無二の養子説が有力)の次男として生まれました。
武者修行の旅をして全国を回り、関ヶ原の合戦にも参加、その後の一条寺下り松など吉岡道場との戦いは有名ですね。また、槍の宝蔵院や鎖鎌の宍戸梅軒、江戸では柳生新陰流との勝負に勝ち、慶長17年(1612年)に下関巌流島で佐々木小次郎との勝負に勝利し、大阪冬・夏の陣や島原の乱にも参戦、細川家に仕え、兵法三十五ヶ条を、最後は岩殿山霊巌洞にこもり「地・水・火・風・空」の五巻からなる五輪書を著し、正保2年(1645年)に65歳で亡くなるまで、剣一筋の生涯を全うしています。
墓は、熊本市内にありますが、ここ宮本村にも分骨されたとあり、宮本神社の傍らには武蔵を中心に一族の墓が静かに時を刻んでいます。その一角に足を踏み入れますと、パワースポットよろしく、何とも言えぬ、たいそう不思議な名状し難い冷気に包まれる「気」のようなものを感じました。
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 ▲ 武蔵の墓所(左)と、武蔵像
宮本武蔵の像を見上げながら、遠い過去の戦国の世に、腕一本で剣の道に生き抜いた天才剣客の生涯に思いを馳せ、時代の違いこそあり、いまの世界にこうした生き方に憧憬の念を覚える自分に気がつきました。実際に命のやり取りがあるわけではない現代社会でありますが、急速なスピードで変化する時のうつろいのなかで複雑に絡み合う矛盾に溢れたシステムや人間関係に葛藤する自我をなんとか平静に保持しようとする毎日です。
武蔵の生きた時代はまさに戦乱の世。その激動する時代の流れに翻弄されながらも、卓越した精神力と己れ自身の技を磨き続け、己れを信じて時代、或いは自分自身に対峙し続けた武蔵は、晩年、書や水墨画、庭園の設計などの分野でも優れた足跡を現代に伝えています。これは剣の道を極めるために死闘や決闘を続けるという、一見、野蛮かつ無価値にすらみえる命のやり取り、その行為から抜け出し、常人ではたどり着けない精神世界に悟りを開いた故に成せた業と察します。達人とは、まさに森羅万象の核とでも申すべき事物の本質を見極めた者しか得とくが叶わない開眼世界にたどり着いた人を指すのでしょう。
武蔵神社
 ▲ 武蔵神社
目先の煩悩に右往左往する、いまの自分では決して知ることができない世界であると再認識いたしました。とは申せ、美作市宮本地区は、自分をとても清々しい気持ちにさせてくれました。


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