オフサイトミーティング講師と長崎市内見物

長崎講師風景
11月20日(土)、前日19日の九州労働金庫推進委員研修会を経て、同金庫長崎県本部のお招きにより、翌日の朝から長崎まで足を延ばし、九州労働金庫長崎県本部オフサイトミーティングの講師を務めさせていただきました。休日にも関わらず、50名を超える若手職員の皆さまから支店長さんまでが参加され、 10:30から12:30までの2時間、私の話に続き、積極的なディスカッションをさせていただくことができました。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」による長崎ブームも手伝ってか、参加された皆さんは活気に溢れており、将来の労働金庫を担う皆さんに大いに期待することができました。

午後から、長崎県本部の福田様、山下様のご案内で、本部からアテンドいただいた不動様の四人で長崎観光に出かけました。長崎駅前のホテルに荷物を預け、あとは徒歩にて龍馬ゆかりの地を訪ねました。まず、寛永年間にキリシタン禁制により異国に流され散って行った「じゃがたらお春」を偲ぶ碑がある聖福寺に詣でました。この聖福寺は、大変に立派なお寺であるにもかかわらず、近年いたみがひどく、広く市民から修復のための寄付を募っているとの説明を聞きました。確かに非常に歴史を感じさせてくれる山門や本堂、さらに明治期の鬼がわらを活用して塀をつくった「鬼塀」など、見る人の気持ちを惹きつける魅力を持っていました。

そのあと訪れた長崎歴史文化博物館では、長崎奉行所龍馬伝館に併設して「岩崎彌太郎展〜三菱の誕生と岩崎家ゆかりのコレクション〜」が始ったばかりで、三菱グループの創設者である岩崎彌太郎を中心に岩崎家の草創期から発展期までの足跡を克明に辿ることができ、とても興味深く拝観できました。また、岩崎家コレクションに併せて、彌太郎(岩崎家)との関係から、佐賀県出身の大隈重信の所縁の品(義足やシルクハット)、大分県出身の福澤諭吉の所縁の品(名刺入れや煙草盆、「学問のススメ」)など貴重な品が展示されており、九州のもつわが国における近代史の懐の深さを感じました。

博物館を後にして日銀長崎支店の前を通り過ぎると諏訪神社の見事な石段が目に入ります。鎮西大社として知られるこの長崎の諏訪神社は、長野県諏訪市の上社、下社に勝るとも劣らぬ威風堂々たる見事なお社の姿で、毎年10月7日〜9日の祭典(例祭)には、荘厳な御神幸と国際色豊かな奉納踊により異国情緒豊かな祭りとして知られている”長崎くんち”が開催されます。この長崎くんちは、昭和54年に国の重要無形民俗文化財に指定されたと伺いました。

眼鏡橋

そのあと、坂の町長崎の階段をのぼり、大河ドラマで話題の「亀山社中」に参りましたが、見学待ちをする観光客の長蛇の列に入館を諦め、寺町通りまで下り、さらにめがね橋、唐人屋敷、中華街、アーケードが続く商店街などを見学し、夜は思案橋にある鯨料理のお店で多彩なメニューと芋焼酎に舌鼓をうちました。長崎市内は昔ながら商店街に人が溢れていて、その様は、シャッター通りが増え、活気を失った全国各地の中心市街地の状況と比較すると目を見張るものがありました。その理由は、長崎市が県庁の所在地や西洋との関係を特徴とした歴史に彩られた観光地、さらに平和の象徴としての都市であるだけでなく、岩崎彌太郎展で学んだ「三菱は本社を東京に移した後も、長崎とは深い関係を保っていました。長崎造船局や高島炭坑の払い下げを受け、三菱の基幹事業として展開していきました。三菱の発展とともに長崎の町も近代都市へと変貌を遂げました(同博物館HPより)」にみる通り、産業的にも近代都市として歩みを続けている点を見逃すことができないと感じました。

九州労働金庫の福田様、山下様、不動様には休日の中を、大変世話になりました。