東京の暮れの風物詩は、あちらこちらに飾られたクリスマスのイルミネーションが主流になってきているようですが、一般的には、上野アメ横の賑わいと浅草寺の「羽子板市」であると思います。
12月18日、久しぶりに訪れた金龍山浅草寺(浅草の観音様)は、地下鉄出口から雷門まで、既に多くの人々であふれ、なかなか境内に向かう仲見世へ入れないほどの混雑です。ようやく仲見世を抜けて宝蔵門までたどり着きました。境内には、数十軒の羽子板や飾り物を並べた露店が軒を連ねます。そもそも新しい年を迎えるための正月用品や縁起物を売る店が、暮れの17日、18日に集まり店を並べたイベントを「歳の市」と呼んだということです。現在は、その「歳の市」が「羽子板市」に変わって姿を残しているそうです。その由縁は「これは羽子板でつく「おい羽根」が害虫を食べる「トンボ」に似ているため、悪い虫がつかないとか、またそのかたい「豆」(むくろじ)の部分から「魔滅(まめ)」にあてられ魔除けになる、あるいは「マメに暮らせる」などの縁起を担ぎ、江戸後期のころから女子の誕生した家に羽子板を贈る風習ができました。これによって羽子板を正月の縁起物として「歳の市」で扱う店が増えていったからだと伝えられています。現在では「納めの観音ご縁日」の前後も含め、12月17~19日に「羽子板市」として境内に数十軒の羽子板の露店が軒を連ねます。(浅草寺HPより)」だそうです。
さて、どの露天の店先にも見事な羽子板が並びます。店名は、歌舞伎の屋号、老舗の人形屋などが並び、確かに羽子板も可愛いお人形さんはもとより、歌舞伎の演目や役者、有名人など様々です。ため息が漏れるほど、どれも見事な細工です。値段は数千円から数十万円まで幅広なようです。人の波をかき分けながら、一通りひやかしてみて回りました。目の保養をさせて頂きました。
そして本堂に参拝してから、商店街を抜けて雷門まで戻り、「並木藪そば」へ参りました。行列が出来ていましたが、回転が速く、5分ほど入店できました。相席ですが、それも趣があります。コストパフォーマンスを考えると庶民の私には高価すぎますが、滅多に来ることは無いのと、年越し蕎麦の縁起も担ぎ、ざる蕎麦(750円)と鴨南ばん蕎麦(1,900円)を食しました。鴨と葱の出汁が効いた、おつゆの味が絶妙でした。
そして、これも久しぶりに浅草から浜離宮まで東京都観光汽船「水上バス」に乗り、隅田川を船で下り、新橋駅から羽田へ出て空路で岡山へ帰りました。吾妻橋、勝鬨橋、清洲橋など、橋毎に解説アナウンスがされます。しばしの川端情緒と高層マンション群など、現在の東京の変貌振りを含めて、短い時間ながら堪能いたしました。