GW後半、5月4日、新見の朝は快晴です。
松下家へ多賀理事長とご子息の3人で宿泊させて頂き、朝は昨晩の鍋を雑炊にして、腹いっぱい頂きました。
そして、皆様にお礼を申し上げて、松下家を後にいたしました。
ここ新見市は鳥取県、広島県に隣接、特に神郷地区は、県境はあまり関係なく、経済圏として、仕事は日野町や日南町はじめ鳥取県の市町と深く連関しており、日常的に往来がされています。また岡山市よりは米子市への買い物が多いようです。
さて、本日のドライブは、極力、人との接触を避けつつ、クルマから降りないようにして、岡山県の県境の外周にあたる山間ルートを、鳥取、広島へと廻り、再び新見市へ戻り、それから高梁市、総社市の山間ルートでドライブを楽しみ帰宅することにいたしました。
その理由のひとつが、神郷からクルマで30分程にある、鳥取県日南町にある道の駅「日野川の郷」へ立ち寄ってみたかったためです。
この道の駅は、中国5県の数ある道の駅でも、屈指の地元で開発された商品が豊富に並び、洗練されたおしゃれにデザインされている地域の拠点として有名なためです。
朝一で参りましたので、オープンの8時半過ぎには到着、人はまばらでした。
準備中のお店もありましたが、はっぴを着た接客担当の職員さんが、朝どれの珍しい野菜や特産品を販売しています。
「香りと風味が最高ですよ」の呼び込みに誘われ「香茸入り大山おこわ」をお昼に食べることにして出来立てを購入しました。
ここ道の駅「日野川の郷」では、すべての商品が販売される都度、1円が森林保全に寄付されることになっています。
これはSDGsを意識した取り組みに位置付けられています。
また、日南町の名峰である鬼林山になぞらえた「鬼林塾」の焼き印が押された木工製品が気になり眺めていますと、マスクをした初老の方が来て、製品の解説をはじめました。なんと製作されたご本人でした。木槌を一本買い求めることにしましたところ、お喜び頂きましたので、瞬間、マスクをはずして記念撮影させて頂きました。
朝からほっこりとした気持ちにさせてくれた「日野川の郷」でした。
それから日野川沿いを源流へ向かい、途中、縁起が良さそうなネーミングに誘われて、樂樂福(ささふく)神社へ詣でました。同社の公式HPによれば「伯耆國の奥日野は古来より良質の砂鉄が大量に産出され、当時のハイテク技術「たたら製鉄」の文化が興隆した輝かしい歴史を持っています。樂樂福神社の「ささ」は砂鉄をあらわし「ふく」は溶鉱炉への送風をあらわしたものであると伝わっており「たたら」の文化を今に伝える由緒あるご社名です。近年は樂樂福(ささふく)の社名を尊び「楽しい生活と幸福を招く」ご利益を願って遠近より多くの参拝者が訪れ因幡伯耆國海運八社の1社です。」とあります。
縁はたたらにまつわる神社でありました。
駐車場にクルマを止めようとしたら、突然、イタチが目の前を横切り、草むらへ素早く走り込みました。
境内は奥が深く、お社も威厳を誇って鎮座しておられました。
ここも朝の時間のためか、どなたの姿もなく、神聖な空気に包まれて、パワースポットのような気分にさせてくれました。
新見神郷同様に桜の花を楽しむことができました。
さて、それから国道183号線を山越えしながら南下、広島県庄原市方面へ進路をとり、芸備線と木次線が交わる備後落合駅まで参りました。ここは鉄道マニアが集う駅として知られています。駅の時刻表では、1日に往来する列車は芸備線と木次線、上り下り合わせて10本ほどで、その昔は大勢の人で賑わったようですが、いまは超ローカル線です。駅舎には昔を偲ぶSLの写真などが数多く展示されています。無人駅ですので、失礼して改札からホームへ出て、写真を撮らせて頂きました。
そして再び、一路、庄原方面を目指しました。
せっかくなので、庄原市でもどこか記念に立ち寄ろうと、ナビでお寺を探しながら運転していますと「徳雲寺」が目を引きましたので目指しました。庄原市の観光HPによりますと徳雲寺は「文安3年(1446年)に覚隠禅師(かくいんぜんじ)が開山した名刹徳雲寺 。15世紀の半ば頃、この地方に鬼が住んでいて、人をさらって石臼ですりつぶして食べてしまうと怖れられていました。旅の途中でこの話を聞いた覚隠禅師は鬼を仏法で改心させたと伝えられています。その際に鬼が改心した証として、自分で角を折って置いていったと伝えられています。この逸話にちなみ、徳雲寺の寺紋は「鬼」の字から第1画の「ノ」を除いたものとなっています。」と紹介されています。
ここも観光ルートからは外れているためか、参拝者は誰もなく、長い参道をひとり本堂に向かいますと、春の陽気に誘われて、青大将がスルスルと道を横切りました。
出会うのが人では無くてイタチやヘビというのも一興であります。
ここも由緒あるお寺でございましょう。
見事な本堂や鐘楼、回廊やお庭がありました。
いかにも柔らかな青葉が芽吹き、数々の花が咲き、鴬はじめ鳥がさえずり、池からは蛙の声が響くといったあんばいで、この自然と歴史が調和した空間が独占できる幸せに満足いたしました。
そして、ナビにより、このお寺から近くに八幡神社もあるのを見つけましたので、もう一カ所、見物しましょうということで参りました。
ここも地元の方の信仰を集めてきた八幡様でしょうか、それにしては見事な年輪を重ねた堂々たる巨木の杉並木が続きます。
また石段を登り終えてたどり着いたお社も実に見事でした。
山からの水が手水池に落ちていましたので、その清水で手をすすがせて頂きました。
冷たくて気持ちよく、境内の杉並木の空気と溶けて、ここも霊験を感じるスポットでありました。そして険しい山道を縫うように下り、途中、旧石器時代末期から縄文時代前期(約12,000~5,000年前)におよぶ5つの文化層で形成されている貴重な遺跡「帝釈峡馬渡遺跡」が現れましたので、記念写真を撮りました。下の川ではヤマメかイワナかわかりませんが、渓流釣りをしてる方に出くわしました。
こうして庄原では、ほぼ誰に出会うことなく寺社散歩の時間を楽しみました。
新型コロナの感染がなければ、まずは回らないルートと立ち寄りスポットでしたが、まさに「ひとり静か」の至極の時でありました。
さて、クルマを飛ばして、国道182号線を新見市へ戻りました。
お昼を過ぎましたので、新見市哲西にある道の駅「鯉が窪」で休憩をいたしました。
今朝、鳥取の道の駅で買ったおこわを食べようと思いましたが、せっかくなので、レストランで「いのしし丼」を注文いたしました。混雑している状態ではありませんでしたが、ここでの休憩・昼食時間が、コロナ感染に一番の注意を払ったポイントとなりました。
そして、すっかり道の駅の名物となった、地元産の米粉を使用した米粉パン販売の「こめ工房」で、子供に日に因み、鯉のぼりとアンパンマンなどの菓子パンを土産に買い求めました。
さて帰路です。
新見市を哲西から哲多へ抜けて、さらに山沿いを走り高梁市の備中町へ入り、川上町の「観光案内所」でひと休みして、さらに成羽町を南下、今日のドライブの最後の立ち寄り処、国登録有形文化財である西江邸まで参りました。
西江邸は予約が無ければ拝観できませんが、門前まで登れば、十分に気持ちを高ぶらせてくれる威風堂々たる建物です。山藤の花が満開で、その荘厳な造りは、HPの紹介「歴史とアートの入口である西江邸は、宝暦元年(1751年)に高品質なベンガラの礎となる本山鉱山を開抗ベンガラの原料となるローハとベンガラの大量生産を行った豪農商 西江家の邸宅である。現存する建物の創建は宝永・正徳年間(1704~1715年)である。江戸期には惣代庄屋として天領地の支配を許され、西江家は代官御用所を兼ねていた。江戸繁栄期の趣を今に色濃く残す西江邸は、郷蔵・お白洲跡・駅馬舎・手習い場などを残す大変貴重な歴史的文化建造物である。この邸宅は西江家が代々受け継ぎ、現在も人の住まう活きた文化財である。」にある通り、かつてのベンガラ全盛の江戸時代の栄華を偲ぶに余りあります。
しばし門前にてその景観に癒され、ふもとの神社にお参りして、すべてプチ旅の工程を終えました。
こうしてGWの5月3日、4日、コロナに負けずに、余生を楽しむ旅を終えて無事に帰宅いたしました。