さて、従来、自治体サービスや学問の世界で論じられる「コミュニティ」の定義は、最小単位では地域における町内会や自治会、もう少し拡張すれば小学校や中学校単位のエリア社会、さらにそれを拡張すると自治体(都市)単位や都道府県でした。
それが、今般の新型コロナ禍が論じられる場合は、都道府県単位を越えて国単位まで視野を広げて論ずる必要性がでています。つまり、地球規模で「リアルな社会生活」が直面する問題や課題について、その解決策(新型コロナ収束策)を考えねばならない段階まできています。
一方で、現代社会において若い世代が「コミュニティ」を論ずる場合は、SNS上で何らかのキーワードにより結ばれた人々の「輪=集団」を指すバーチャルな社会が通常の「コミュニティ」世界となっています。つまり、ご近所の町内会や自治会というリアルコミュニティは基礎になっておらず、インターネットを媒介として何らかのきっかけで知り合った志や趣味・嗜好、芸術やスポーツ、ボランティアや社会活動など、それぞれの目的やテーマを同じくする人たちが、バーチャル空間で創造されたコミュニティ上で出会い、意見交換や情報交換を行い、そしてそれが原動力となって、リアルな社会活動や経済活動に昇華してゆく社会が日常となりつつあります。
現在の新型コロナ禍に対処するためには、このバーチャルコミュニティでの人の暮らしや、さらには経済活動まで維持するための処方箋を考えることがテーマとされています。
ところで、こうしたなかで今回の新型コロナ禍は、持久戦の様相を呈しています。
そこでステイホームを国民全員が守ることにより、確かにGW以降、感染者数が減ってきている点は、素晴らしいことであると思います(2020年5月21日時点)。
一方で、現在、「自粛疲れ」と規制緩和による「気のゆるみ」による感染の再拡大が懸念されています。
その原因の一つは、閉鎖空間での精神的な我慢と「不要不急」と言われる自由な移動の制限がもたらす、日常性を制約される環境の持続・継続を為政者から指示・要請されることへの「心のバランス」であると思われます。
つまり、頭の中では、人命を最優先する政策や指示について、我が身を守るという観点から、そして他人に迷惑をかけないという社会的な使命感からも理解を示すのですが、これが長引くとなると、その制約を順守する行動に限界が訪れることは避けられないと思われます。
こうした未経験の脅威に対して、社会的な要請として「パンデミックに正面から向き合い、ネットワーク社会を活用して受け入れるしなやかさを持つ、未来志向による新たな社会システムを創造しましょう」と言われています。
ところで足元に目を転じますと、「3密」がキーワードとなっていますが、「感染リスクが高い外出を避けましょう」と言われるなかで、外出する際の移動手段の重要な選択肢である「公共交通」の利用は、他人との長時間に及ぶ接触機会が多いため、この3密に該当する可能性が高いと言われる社会の風潮があります。
そこで個別交通(マイカー)の利用となるわけですが、マイカーを使えない高齢者や自転車には乗れるものの子供や未成年者の移動に対して、公共交通利用に制限が課せられることは、社会を「人間の共同生活の総称であり、広く人間の集団としての営みや組織的な営み」であると解釈するならば、その社会自体の公共性に鑑みても、大きな痛手であると言えましょう。
つまり、人間が社会的動物である以上は、「安全」を第一義に考えることが最も重要であるものの、安全性を順守するだけで、どこへも「移動」せずに過ごすことは、人間にはできないと考えられます。
それは、植物は生まれ育つ所で、芽を出し、花を咲かせ、実を結び、光合成をすることで生長を続けることができますが、動物(人間も)は、今回のようなウイルスの存在を意識しながらも移動して食べ物を手に入れなければ、餓死してしまいますし、知的面(例えば芸術)や身体面(例えばスポーツ)での欲求を満たすことができない(幸せに生きているという実感を得ることができない)、という厳然たる事実があると思います。
換言すれば、今回の新型コロナ禍においても、人間は「安全」を考慮しつつも、「移動」の可能性や手段を確保・維持しながら、その両立をいかに図るべきかが、生きるための一つの重要なテーマになると思います。
一方で、公共交通の必要性を論ずる場合、東京都心のラッシュアワーは、3密の観点からすれば、東京一極集中、人口過密が生み出した常識を超越した「異常な社会的密集状態」であると言え、少々の時差通勤では解消しえない、社会が招いた社会課題、すなわち新型コロナ禍の視座からは、一種の「人災・公害」であるとまで指摘する人がいます。したがって、テレワークによる通勤リスクの緩和・解消というシナリオとなりますが、大都市の環境では限界があることは間違いないと思われます。
そうした背景により、代替案としてICTや5G(最近では6G)に代表される、新たな進化を続けるネットワーク社会の実現が、こうした課題の解決、解消に、どこまでつなぐことができるかとの議論が本格化しています。また公共交通の分野でも、具体的なテクニカル手法や創意工夫された人知システムの構築が「突破口」であるとして具体策の試行・検討が続けれています。
こうしたなかで問題視するテーマは、新型コロナ禍というパンデミックに対して、最大限のリスクヘッジを社会全体、そして私たち一人一人がマネジメントする責任があると同時に、精神的な日常の安息(うまい寿司屋やレストランに通う)や知的満足(絵をかいたり美術館へゆく)、身体的満足(スポーツをしたり見たりする)を得ることを含め、私たちが幸せを感じながら生きてゆくためには、緊急事態として不要不急の移動は避けねばならぬなかで何が大切かという点です。
すなわち、大切なことは、自由に移動する権利、すなわち「移動権」を担保して、いかに「安全の担保」と「移動の自由」が共存できる仕組みを創造し、豊かな生活を維持するかを考える必要があるのではないかと思います(日本国憲法では「生存権」と「幸福権」)。
いま、その共存の仕組みが問われ、この答えは、『正常な真の姿の地域公共交通システムの構築』こそが、パンデミックと向き合いながら人類が安心して暮らせ、心から幸せを実感できる社会を支える光明になる必要十分条件であると確信します(東京は「人」を主役に考えた場合、異常であり決してモデルにはなりえません)。
2次感染拡大のリスクを想定しますと、気が抜けない状況に変化はありませんが、動けない分(リアル社会)を、可能な限りネットワーク社会(バーチャル社会)へ代替するとした発想の転換だけでは、人が幸せを実感できる本源的な社会は機能しなくなるのではと危惧しています。
もちろん、こうした議論に参加する人たちにおいても、必ずしも先進的なネットワーク社会の実現が、社会全体の構造や仕組み、そして人の幸せを変えるとは考えておられないことは承知していますが、今回のパンデミックは「人の存在と幸せとは何か」について根本から考えさせられる事態(脅威を機会に変える)であると思います。
写真は、ふるさと財団の地方創生支援事業を活用して、真庭市にある社(やしろ)地区(中山間地域)で、「小型モビリティ」を活用した移動手段の確保を目的とした実験の実施などを本事業アドバイザーとしてお手伝いしています。
その地域の写真をイメージとして掲載します。