石見銀山

未だコロナ渦の心配は続きますが、旅が解禁になりました。
6月18日、19日、一泊二日、島根県へミニひとり旅に出かけました。

朝から山陽自動車道を尾道ジャンクションから尾道自動車道に入り北上、三次まで参り、そこから国道54号線(通称:出雲神話街道)を使い、石見銀山を目指しました。途中で、飯南町の道の駅赤来高原でひと休みしてから、その先にある黄金のにごり湯で有名なナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩泉の来島郷「加田の湯」に立ち寄りました。

茶褐色の湯の色は中国5県では珍しいため、この温泉を今回のミニ旅行のひとつのポイントにしての旅です。さらに途中の湯飽温泉に立ち寄りましたが、コロナ渦の影響で予約が無いと入湯、立ち寄り湯はできないと断られてしまいました。残念です。
さて、山を越えて江の川(ごうのかわ)に出ました。江の川は、全国ランキングでは、延長で12位、面積で16位であり、中国地方最大の河川であり、中国地方の一級河川の中で唯一中国山地を貫流する先行河川です。また、この川沿いには三江線がありました。この線は島根県江津駅から広島県三次駅を結んだJR西日本鉄道路線であり、2018年4月1日全線が廃止されたと記録され歴史にその名を刻みながら沿線にその痕跡を残しています。途中で、その今を訪ねました。旧沢谷駅のホームは雑草に覆われており、葛の葉の中にレールが隠れています。代替バスのバス停があり、その公共交通としての機能を維持しながら地域の移動を支えています。その先、レールが切れた線路、解体工事が進んでいるようです。さすがにさみしい思いを隠せませんでした。次の浜原駅は江の川のほとりに位置しており、駅舎は立ち入り禁止になっています。丁度、バスが駅に到着しました。そして、次の柏渕駅の駅舎は美郷町商工会と併設になっているため保存された状態です。ホームはレールが部分的に残され、改札の下の部分で線路にはコンクリート舗装が施されています。
急速な少子高齢٠人口減少社会の解決策は本当に見えにくい時代です。
地域社会の創生やJRの経営もさることながら、SDGsの視点では、公共交通の維持・存続のテーマは国政の問題である気がします。
ようやく石見銀山の世界遺産センターに到着しました。

島根県のHPによれば「石見銀山遺跡とその文化的景観は2007年に鉱山遺跡としてはアジアでは初めて世界遺産に登録されました。国内では「紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道)」と並んで2例しかない「文化的景観」として世界遺産に登録されています。鉱山活動の及んだ土地利用が今も人の暮らしとともに続く状態が評価されました。その規模は529ha(東京ディズニーランド約11個分)で、当時を彷彿とさせる趣深い町並みには今も人々が暮らし、歴史を伝え残しています。かつて銀を採掘していた坑道跡、龍源寺間歩につながる大森の町並みには、現在も人々が生活をし、その暮らしが根付く、歩く世界遺産として大変珍しい観光地です。江戸時代にタイムスリップしたかのような懐かしい景色の中をのんびり散策して、龍源寺間歩を目指しましょう。」と紹介されています。

世界遺産センターでは、石見銀山の発見から戦国武将による関与の歴史、そして海外にまで知られた記録、採掘から製錬の技術、人々の生活、銀生産から流通、間歩の紹介、調査研究成果などを見学して廻りました。また、VR(仮想現実)で眺める映像で銀山体験をすることができました。
五百羅漢近くにある駐車場にクルマを置いて、龍源寺間歩(まぶ)を目指して歩くこと1時間ほどかかりました。銀山は時代や掘り方の違いで呼び名が異なり、銀の採掘場となった龍源寺間歩、銀鉱石を製錬する清水谷製錬所跡、守り神として信仰を集めた佐毘売山神社など、多くの遺産を見ることが出来ます。

龍源寺間歩に入ると坑道の寒暖計が12度をさしています。外が30度の暑さでしたので、その差が激しく、とてもひんやり感じ、自然の力で涼をとることができました。
石見銀山から山陰道国道9号線を宿泊先の玉造温泉を目指しました。
途中、出雲市内の「三葉膳」で、鴨葱入りの出雲そばを食しました。