現代の葬儀について~家族葬

7月9日、満93歳にて義母が他界いたしました。

7月10日は参議院議員選挙の投票日、急遽、岡山市役所本庁で期日前投票を済ませ、10日朝一番で東京へ向かいました。

7月11日、喪主を務める妻の長兄(義兄)の提案により家族葬が営まれました。

冒頭で、義兄から「なぜ、家族葬にしたか」、その理由が述べられました。義兄は早稲田大学で長く哲学(専門はフッサール(現象学)の研究)を学び、埼玉県の県立高校の校長を務めた経験を持ち、宗教学についても相当な専門知識を有しています。義兄によれば、「経験上、幾度となく葬儀に列席したが、まず、現代社会、とりわけ東京など大都市の場合は、檀家制度が有名無実化しており、菩提寺の僧侶、つまり葬儀を執り行う僧侶と故人が日常的に会話をする機会がほとんど失われている。ましてや葬儀に参列した人たちは、告別式や葬儀に際して、はじめて宗派も含め誰か見知らぬ僧侶の長い経に付きなわなければならない。確かに、その時間や宗教観・死生観の共有が大切である点は承知しているが、現代人は般若心経さえ意味を理解しないケースが多い中で、いくつもの経を聴くことに、あまり時間価値を見出しにくい。さらに、最近の僧侶の講話を聴くにつけ、本当に経の内容を深く理解して、私たちに講話しているのか疑問を抱くケースが多い。それよりも、身内が集まり、故人との思い出を偲び、語らいながら、野辺送りをするほうが、子供たち、そして何よりも孫、ひ孫にとっても、故人(親)の恩を未来に向けてリレーすることになると思う。」と説明がありました。

こうして家族葬が始まりました。会場には、故人の子供のころから、亡くなる介護施設までの写真や思い出の品々が並べられています。故人の父は早稲田大学(第1回生、大隈重信の卒業証書)から、第百銀行(三菱銀行)に勤務したこともあり、古い写真が戦災を免れ数多く残っておりました。葬儀ではじめて、故人の幼いころから娘時代の様子まで知ることができました(そのようなアルバムを見せてもらったことがありませんでした)。また、義兄により、故人が生まれた時から亡くなるまで、時代背景と家族の出来事をあわせて記した年表が準備されており、さながら歴史の授業のような雰囲気の中で故人の足跡を偲びました。そして、一堂に会した親族ひとり一人が故人の思い出話を皆の前で披露し献花を行いました。

故人(母)により、妻をはじめ実子たちが、どのような躾や教育を受け、そして親の恩に報いようと、それぞれの人生を送ってきたのか、そして7人の孫たちも、それぞれに「おばあちゃんの思い出」を語り、5人のひ孫たちは、折り紙を折って棺に入れるなど、しめやかな中にもリラックスした雰囲気で家族葬は進みました。普段、なかなか話す機会がない子供たちや、いとこ同士の孫たちも、ゆっくりと近況報告をしあう時間を持つことができました。こうして故人は、喜びながら、先立った義父や家族の待つもとへ旅立って行ったと思います。

現代社会やコミュニティの変容と共に、これからの葬儀のあり方も、こうした新しい形に変化してゆくのかも知れません。

身をもって大切な時を過ごした一日でありました。

また、郷里に仏壇とお墓を残し盆正月に参ることしかできない暮らしが続きます。また、これを郷里に無縁な子供たちに如何に引き継ぐか、さらに現代における家族のあり方や親族との関係、檀家制度や仏教とのかかわり、さまざまなことを大いに考えさせられた一日でもありました。