三朝温泉「花湯まつり陣所大綱引き」参加報告

三朝町と岡山大学

鳥取県東伯郡三朝町は、岡山県真庭市、鏡野町と隣接する、鳥取県の中央部(東伯郡の由来のとおり伯耆国の東部)にある町で、人口は平成26年3月末現在で6,928人、内男性3,268人、女性3,660人、高齢者数2,389人(高齢化率34.5 %)です。ここ三朝町には、山陰を代表する名湯「三朝温泉」があり、豊富な湯量は中四国屈指です。

また、三朝町には、岡山大学惑星物質研究所があります。研究所のHPの一部を引用しますと「我々は,世界最先端の総合的分析実験技術と,これまでに蓄積された経験に基づき,固体地球科学に必要なほぼ全ての基礎的パラメータを高精度に提供する能力を確立しつつあります。しかし,地球惑星物質科学の特徴は,46億年に渡る広範囲な時間と空間(地球を含む太陽系全体)および物質特性を総合的に研究することにあり,その研究の幅は他分野と比較して極めて広いものです。本センターにおいても「地球の起源・進化・ダイナミクス」に関する先導的研究を実施するなかで,地球を構成した太陽系物質の起源や物質進化に対する情報を求め,地球科学が惑星物質研究をも内包する形で研究領域が広がっています。」とあります。例えば「はやぶさ」が「イトカワ」から持ち帰った鉱物(物質)の研究分析を行っている世界的に有名な研究所です。

また、残念ながら平成28年(2016年)3月末日に閉院した、岡山大学病院三朝医療センターがあり、大学附属の病院として、複合温泉療法などを取り入れた医療が有名で、タレントの植木等や地元選出の石破茂大臣のご母堂が温泉療法をされるなど、地域治療の拠点として貢献していました。こうしたご縁で岡山大学と三朝町は深い歴史があります。ここ三朝の温泉は、高濃度のラドン含有量を誇る世界屈指の放射能泉です。ラドンとは、ラジウムが分解されて生じる弱い放射線で、身体に浴びると新陳代謝を活発にする「ホルミシス効果」と呼ばれる免疫力や自然治癒力が高まる効果があると書かれてあります。お昼をご一緒した、惑星物質研究所の中村栄三所長によれば、「昔は、ラジウムとラドンの因果関係が正確に解明されておらず、科学的に不十分な理解があるなかで、今でも放射線を浴びることが、一般的には「被爆」することになるのではと三朝の温泉効果について疑問視する声を聞きます。こうした点を、地球を構成する「物質」研究の観点から、精緻に解き明かし、その効能を明示する使命が研究所にあると考えています」と語ってくださいました。

今回、留学生9名(アメリカ3名、英国1名、オーストラリア2名、カナダ1名、ドイツ1名、インドネシア1名)と日本人学生1名、そして地域総合研究センターから岩淵 泰 先生と小職の12名が、5月3日から5日まで三朝町に滞在して、多くの貴重な経験を積ませて頂きました。案内役を鳥取県庁から岡山大学惑星物質研究所へ出向されている山本直生総括主査にお願いいたしました。

さて、三朝温泉は「日本遺産指定第1号」です。源泉が見つかり、浴場として人々に親しまれるようになって平成28年で開湯850年を迎えました。発祥の地・元湯である「株湯」(300円)、中心街にある「たまわりの湯」(500円)、そして三徳川の中にある露天風呂「河原風呂」(無料)という3ヶ所の共同浴場があります。そして三徳川両岸には大小20数軒の旅館が建ち並び、温泉街には、木造3階建ての老舗旅館をはじめ、食堂やスナック、レトロな理容室や射的場、みやげ物屋が軒を連ねています。現在は営業をしていませんが、今ではユニークなストリップ劇場の看板がそのまま残され、昔ながらの温泉街の風情をとどめています。一方、川の対岸には大型の観光ホテルが軒を連ねています。旅館やホテルにより金額が異なりますが、立ち寄り湯が楽しめます(島崎藤村はじめ文人墨客や皇族が利用・宿泊した「依山楼岩崎(いざんろういわさき)」は有名です)。

「陣所(ジンショ)」“大綱引き”

今回は、5月4日に開催された三朝温泉「花湯まつり」に合わせて、120年前から伝わる国の重要無形民俗文化財指定の「陣所(ジンショ)」“大綱引き”に、準備から本番までフル参加いたしました。このお釈迦様の生誕を祝って開催される「花湯まつり」は平成28年で140回を迎えます。三朝町地域づくり支援室長の吉田弘幸氏(三朝町総合文化ホール館長)によれば「そもそも、この祭事は、子どもの無病息災を願ったもの(菖蒲綱引き)が由来であると言われていますが、他にも重要なポイントがあります。藤かずらは、大切な木々に巻きつき、その成長を妨げるため、森林保全の観点からも大切な作業であり、また、藤かずらを伐採する時期も、成長の具合や雪解け、田植えなどの年間行事などを勘案すると、この春の時期が最もタイミング的に良く、自然の摂理と人の暮らしのなかで生まれた祭事であると言えます。また、この地域は温泉街であるため、近隣地域からの湯治客はもとより、全国から大勢の人たちが集まり、昔は歓楽的な要素が強く、博徒により賭け事が盛んであるなど、そうした賑わいの裏側で諍いが起こるなどしたため、このエネルギーを「陣所」“大綱引き”という祭事に変えて、発散、収束させたと言われています。」とご説明頂きました。

岡大の一行12人は、祭りに使われる東西二本(雄・雌)の綱を編む「綱からみ」という作業に加えて頂きました。この綱は、1本が全長約80メートル・総重量2トン・胴回り1.5メートルという巨大なもので、一日かけて、言葉を失うほどに巨大な綱の製作が行われました。この作業のために、まず約3週間かけて、地域の皆さんが地元の山を中心に藤かずらを集めてきます。こうして集められた藤かずらは、まず数日間川に浸して柔らかくしてあり、これをさらに木槌で叩いて加工しやすくします。かずらを結ぶ紐も、同じかずらの皮を剥いで作ります。留学生たちは、三朝区ジンショ保存会の藤井博美会長はじめ地域の皆さんや地元小学生から指導、手ほどきを受けながら、木槌でかずらを加工しやすくする作業と、皮を剥いで紐を編む作業の二組に分かれ活動を開始しました。次に、こうして準備されたかずらを、それを数人がかりで、手で抱えあげながら、掛け声に併せて80メートルになるまで、つなぎ合わせ、さらに太い1本の綱になるよう束ねて編み込んでいきます。そして、解けないよう等間隔で結わえながら、それを綱引きの引き手としても活用します。全て天然の藤カズラを使って編む伝統の知恵と技が凝縮された手法に驚きました。東軍が勝てば五穀豊穣、西軍が勝てば商売繁盛、大綱(縄)の先端部は、巨大な♂♀を形作ってあり、和合を表しているとの事、留学生達は目をぱちくりさせていました。

5月4日は祭り本番です。午前中は、三朝温泉の守り神的存在の神社に参りました。大己貴命(大国主命・オオクニヌシ)や素盞鳴尊(スサノオ)などが祀られています。また、今は明治維新の神仏習合以来、神社と仏閣にあまり違いが無いとお教えいただきました。温泉地ならでは、手水所からはラジウム温泉が湧いており、飲泉であることから、留学生たちにお参りの前には、ここの手水所にて手と口を清めることを伝えました。そして、三朝神社に参拝してから、三朝温泉の源泉である「株湯」に参りました。現在は「足湯」になっていて誰でも利用できます。古い木で組まれた湯船に足を浸けて留学生たちも上機嫌です。さらに、お昼からお薬師供養祭があると伺い薬師堂に詣でました。まず、2人の僧侶がお薬師さんに般若心経を奉じ、温泉の恵と皆の健康に感謝します。それに続き、可愛い子供たちが舞を奉納します。この衣装と舞を留学生たちは、とても興味深そうに見入っていました。そして、この稚児行列やみこしが薬師堂から三朝神社までの行程で温泉街を練り歩きます。

丁度、お腹も空いてきましたので、三徳川のたもとにオープンした「ふるさと健康村」へ向かいました。ふるさと健康村は、陶芸工房と織物工房を併設する体験型施設です。陶芸工房では白狼焼陶芸体験や絵付け体験、織物工房「アトリエ グリシヌ」では、草木染め糸を使った「みささ織」が体験でき、販売しています。物産館にある「喫茶サンテ」で、地元でとれた大豆で丁寧に作られた納豆で勝負する「神の食卓」とネーミングされた納豆定食を食しました。とても大粒かつ柔らかな納豆で、おかわりをさせて頂きました。流石に納豆を食べることは出来ないと答える留学生も多く、彼らは、ご当地名物「三朝ラードン麺(三朝温泉のラドンが由来)」を食しました。物産館で対応してくれた職員は、三朝町企画観光課に所属する地域おこし協力隊の井上正樹さんで、三朝についてヒアリングをさせて頂きました。大阪出身の彼は、昔は広告代理店に勤務した経験を持ち、今では三朝の観光広報や地域活動の展開に大きな戦力となっているようです。地域おこし協力隊としての任期は今年1年だそうですが、引き続き定住する予定だそうです。「みささ織」のショールを土産に買い求めました。

昼食を済ませ、ここで夕方まで自由行動として分かれました。私たちは、山本さんの案内で、三徳山へ向かいました。標高899.9mの三徳山にある三佛寺(さんぶつじ)は、天台宗の古刹であり、山腹にある「投入堂」は国宝です。麓の道路から拝ませていただきました。このような急峻な山肌に、よくも、このようなお堂を建立したものだ、と感じ入りました。想像ですが、日本で一番、拝観するのに骨の折れる国宝であると思います。なお、山全体が国の名勝・史跡に指定されており、平成26年(2014年)3月に一部地域が大山隠岐岐国立公園に編入されています。

隣町の倉吉市

さて、そこから倉吉市に足を伸ばして白壁土蔵群を見学して廻りました。鳥取県の観光案内によると「玉川沿いに並ぶ白壁土蔵群は江戸、明治期に建てられた建物が多く、今でも当時の面影を見ることができます。国重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、玉川に架けられた石橋や、赤瓦に白い漆喰壁が見られる風情のある町並みです。かつて、造り酒屋や醤油屋として使用されていた白壁の土蔵や建物が、物産館、喫茶店、ギャラリーなどさまざまなかたちで利用され、レトロな魅力を感じることができ、また、穏やかな時間がゆっくり流れていくのが感じられます。」とあります。ここは伝統的建造物群保存地区(城下町、宿場町、門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存を図り、保存条例に基づき地区内の保存事業を計画的に進める)に選定されています。大正時代に建てられた醤油の仕込み蔵を改装した赤瓦1号館には、工夫を凝らした店舗が並び、特に眼を引いたのが、伝統的な竹細工店の名店で、歴代の天皇家に竹細工を献上している老舗「創作工房中野竹芸」です。逸品の数々に感嘆です。そして赤瓦2号館は「ワイン蔵」など、こうした「赤瓦」のネーミングで統一された施設が1号館から16号館まで整備されています。

また、国登録重要文化財「白壁倶楽部」は、旧国立第三銀行倉吉支店で、明治41年建築の堂々とした擬洋風建築、今は洋食レストランとして賑わっています。二階を見学させて頂きました。日本銀行の旧館と同じく2階からは1階の様子が見下ろせる造りになっています。これは、強盗に備えるためで、昔ながらの銀行建築となっていました。次は、金山時味噌を使った創作ラーメン「あじくらや」に立ち寄りました。店長の浅田和佳さんに、起業にいたる経緯や味の特徴、客層やもてなしのポリシー、今後の店舗展開についてヒアリングさせて頂きました。土産に金山時味噌を買い求めました。

最後は、今も変わらぬ昔ながらの方法で醤油を製造する桑田醤油醸造場を訪ねました。玉川伝統的建造物群保存地区の中で代表的な京風の商家造りとして親しまれています。ここでは名物「醤油アイス」をご馳走になりました。とても上品な味付け、そして女将さんも上品で、ほっと一息、疲れを癒してくれました。岡山県では、倉敷美観地区が、伝統的建造物群保存地区に指定されています。倉吉と倉敷、どちらも地域の伝統と文化を守りながら、地域の拠点となっている点が共通しています。また訪れてみたい倉吉でした。

三朝町長や地域人、観光客とのふれあい

さて、夜は、留学生たちと夕食を済ませてから、観光案内所「三朝温泉ほっとプラ座」で、吉田秀光三朝町長にお目にかかり「留学生や岡山大学の皆さんに期待しています」とコメントを頂きました。留学生たちは自己紹介と三朝の感想を述べさせて頂き、記念撮影をいたしました。そして、いよいよ「花湯まつり」を彩る花火大会が始まりました。

恋谷橋周辺で、例年は3日、4日と約1,000発の花火が温泉街の夜空を鮮やかに染めます。今年は3日が強風のために花火の打ち上げが中止され、4日に二日分の花火が同じ時間内で打ち上げられたため、時間当たりの密度が2倍になったということで、間断なく打ち上げられる花火は迫力満点、アメリカからの留学生から「アメリカ建国祭の折に地元で打ち上げられる花火よりも凄かった」と感嘆の声が上がりました。

花火終了後、公民館にて留学生たちのなかで綱引きに参加する学生たちに法被が渡されました。そして、昨夜、それぞれ2本の大綱を移動した場所から、陣所が行われる「緑門」中央場所へ「オイサー」のかけ声を上げながら担ぎ出します。夜も9時を回り、いよいよ陣所が始まります。雄と雌の大綱の頭部を樫の木の棒で結合させて大綱引きが始まります。法被をきた面々が大綱の先端を高く掲げ、その先端に双方から選ばれた荒武者が登って結合させようと挑みますが、なかなか結合できません。やっと7回目の仕儀で結合しました。その瞬間に大綱引きがスタートです。

東西に分かれ、見知らぬ同士が「オイサー」の掛け声に合わせて渾身の力で綱を引き合います。私の隣はカナダからの留学生サラさんです。そして惑星物質研究所の先生や研究者の方(みんな外国人)も大勢が参加しています。勝負は東の勝ちと宣言されましたが、実は西が勝っていたと思います(西が勝利宣言をして、全員が綱を離した後に、その綱が東側へするすると曳かれていきました)。ともあれ勝敗は問題ではありません。地元の人々と観光客、そして外国人も大勢が参加、一堂に会し一体となり、まつりに参加して喜びを分かち合う感動の瞬間、その素晴らしさに胸を打たれました。この先人の知恵に裏付けられた伝統と文化の継承は地域、そして日本の宝であると思います。そして、留学生たちにとっては、得がたい日本の伝統や文化に肌で接することが出来たと思います。こうした機会を提供することが、スーパーグローバル大学を目指す岡山大学にとって、とても重要であると改めて認識を強くいたしました。

公民館へ帰り、法被を返却、そして反省会をしてから宿泊所へ戻ったのは11時を過ぎていました。興奮冷めやらぬ留学生たちは、ラウンジに集まって感想会です。話題は、まつりの話から、いつしか自らの母国の話題になって行きました。そして、スマホを取り出して、お気に入りの曲を披露します。英語、フランス語、ドイツ語の曲が一度に流れ、室内で溶け合いました。歌いだす留学生もいます。グローバルとは、こうしたことを言うのかも知れないと感心しきりでした。

グローバル人材の養成

つまり、「グローバル化」という言葉は日常用語として気軽に使われています。しかし、わが国や、とりわけ大学教育のなかで、そこに潜む課題=グローバル化の真の意味は何か、という議論や対話は、明らかに不足していると言えましょう。経済を論ずる際の基礎となる、身近な「衣食住」について考えてみても、「衣」は完全に西洋化が進み、冠婚葬祭時を除くと、日常的に和装をする人は京都や金沢など古都といわれる一部エリアに限られるか、今回の祭りに使われた伝統的な法被も年に1度か2度の着用です。

「食」についても同じで、国策として議論されているTPPにまつわる農産物分野での議論から、私たちの日常の風景として横たわる大型商業施設内に世界博覧会的に展開するレストランやワールドカフェまで、日々の暮らしの中に国際色豊かな話題や物資、文化性を帯びたものが溶け込んでいるように見えます。せいぜい「住」のなかに日本建築や畳の上での暮らしが残っているくらいで、都市化の波は西洋建築やマンション居住を一般化しつつあります。しかし、現実的に人間同士としての外国人とのふれあいは、特定の人を除いて極めて少ないのが実情であると申せましょう。それゆえに、市民生活や市民意識を前提とする「国際理解」といった人間の本質に迫る問題に接した場合において、その理解の脆弱性から核心に迫ることが不十分なために、いざ問題が生じた際に解決策が見出せないケースがしばしばあると思われます。また、観光やグルメは楽しみます。しかし、いまの日本人は、その地の人たちの日常の暮らしに直接に接したり、家族ぐるみで交流したりすることは稀であると言えましょう。すなわち、私たちにとっては、日常の生活で外国人の人たちと対話し、また思い切って留学をすることにより、そうした経験を持つことが大切なのです。「グローバル化」の定義を「世界の中で自国や民族意識を客観化して相対的に比べ、そして共生する道筋を探ることである」とするならば、経済優先の国づくりがもたらした過度の都市化や、利潤追求型社会の産物といえる自己中心型思考や行動規範の変質が、現代社会の形成に生起したツケは大きいと言え、もう一度、「グローバル化」とは何か、「グローバル化」するには何が必要かについて猛省・再考する必要があるのではないでしょうか。

つまり、私たち大学に奉職する者、あるいは学ぶ者が、「グローバル化」の意味を理解する上で最も大切なことは、語学の熟達も重要ですが、日本に留学している世界中の人たちと直接に交流する機会を増やし、できれば自らも留学をして、さまざまな国の人たちと直接に交流し、国境を越えて互いの歴史や文化、苦しみや喜びを共有することを通じて相互に理解を深め、たとえ距離が遠く離れていようとも良き隣人として共感する気持ちを分かち合うことなのです。もちろん、こうした機会を持つのは学内に限りません。市民としてキャンパスの外へ出かけ、外国から日本へ来て生活を営む人や観光目的で来日している人と地域社会の中で交流する習慣を身に付けることにより、私たちは国際性を磨き、グローバルな視野で良識を持って地域経済に貢献する「良き市民」になることができると言えます。

岡山大学留学生の学び

最終日の5月5日は、午前中に惑星物質研究所を見学させて頂きました。観測、分析機材の見学や研究員の方から活動内容の説明を受けました。留学生からも質問が出されました。また、閉院した岡山大学病院三朝医療センターの施設についても説明を受けました。

そして荷物をまとめて宿泊所を後に、再び、観光案内所「三朝温泉ほっとプラ座」を訪ね、三朝温泉観光協会の御舩豊(みふねゆたか)事務局長から、三朝温泉観光について講話をお聴きした後で、留学生が見た三朝温泉の良さ、そして外国人観光客の視点でみた「三朝温泉に求められるもの、足りない点、残念な点」について、全員が意見を述べさせていただき、意見交換の時間を持ちました。コーディネートは岩淵泰先生が担当いたしました。この仕上げとも言える時間は、とても貴重な学びの時間となりました。観光協会との話し合いで、三朝町の改善点について留学生から出された主な意見として、まちの中でインターネット環境が整備されていないこと、買い物が行いにくく外国人旅行者向けの品揃えが少ないいという意見が出てきました。インターネット環境の整備については、観光協会が改善策を練っており、整備を進めている段階であるそうです。また、買物が行いにくいのは、三朝町の温泉郷では、旅館やホテルの内部で買い物ができるようになっており、外で買い物をする状況にはなりにくくなっていることが挙げられるようです。そのため、共通したイベントを増やすことで、お客さんが出やすい環境づくりを進めていきたいとのことです。

また、留学生は、川付近での遊びに関心があり、岩や水の流れが大変興味深いと言う意見が出てきました。また、トレッキングなどまち歩きや山歩きも、観光資源として魅力的だということです。 三徳山・三朝温泉が「日本遺産」の第1号になっており、外国人観光客の増加が見込まれるため、留学生の意見もまちづくりに貢献できるものと考えます。

まとめ
(1) 議事録(山本直生総括主査)
日 時 2016年5月5日(祝・木)12:30~13:30
場 所 ほっとプラ座(三朝温泉観光商工センター)
対応者 三朝温泉観光協会 御舩 豊 事務局長
<留学生の気づきと御舩事務局長さんのコメント>
○宿泊所や温泉街など各所でwifi環境を充実してほしい。
留学生 ・岡大宿泊所が一部の部屋とラウンジで入りにくい。
・観光情報拠点のココ(ほっとプラ座)自体に届かない。
御舩氏 ・フリースポットがあるが接続可能数が少なくて電波も弱いため、今年度wifi環境整備に向けて検討中。
○身近な日用品等の種類が豊富なお店が幾つかあってほしい。
御舩氏 ・各旅館が館内に取込む形で衰退していった反省を踏まえ、イベント等により購買需要を館外に設けて行く方向で議論がされている。
・綱引きショップのニーズもある。
○留学生も気に入った河原に椅子等の寛げる空間がほしい。
留学生 ・川中に飛び込んで遊びたい。大岩、清流など興味深く居るだけで楽しい。
御舩氏 ・蛍を増やすために草刈は抑制。川床あそび(料理)の案も出ている。
○温泉が良いのでマッサージ等を充実してほしい。
留学生 ・あるだろうけどあっても良くわからないし高い。
岩淵氏 ・ドイツから世界に広がるクアオルト(療養地)的な取り組みも有用。
[参考リンク]http://kurort.jp/kurort/japan_kurort/
御舩氏 ・歩いて、浸る・飲む・吸う温泉として、世界規模で良い効能。
・ノルディックウォークは、10以上の旅館のトップが資格を取得。
○花湯祭「陣所」
一 同 ・素晴らしい連帯の体験。
・皆さんがとても親切で、わかりやすく教えてくださったので、やる気がみなぎり、肩や喉が痛くなるほど張り切ることができた。
御舩氏 ・最も年齢層の少ない今回参加の留学生のような方たちの参加を今後も切望。
・今までは高齢化の一途であったが、今回の皆さんや、以前居た中学美術教員が、町外から生徒を連れて来てくださるなど、皆さんのお陰でたいへん盛況で嬉しい。
・言葉の壁は、留学生の皆さんの思いやりのお陰で全く問題なく、しっかり歓迎されていた。
○その他
御舩氏 ・空港連絡バス(片道1,450円)等アクセスも良いので海外観光客も多い。
・観光資源造成の取り組み
◇ホタルの夕べ‥6月1日~30日(6月8日~15日 20時~21時予定 ホタルウィーク)
[参考リンク]http://www.jalan.net/theme/hotaru/tottori/31_hotaru02.html◇スターウォッチングイベント‥4~10月の月一度の土日
[参考リンク]http://spa-misasa.jp/news/1867.html

◇投入堂で有名な三徳山炎の祭典「火渡り神事」‥10月最終日曜
[参考リンク]http://www.mitokusan.jp/gyoji.html

◇風情豊かな雪景色
[参考リンク]http://iyashi.midb.jp/best/1796

◇年間宿泊客35~36万人。1割程度は通過型。

◇ノルディックウォーク
[参考リンク]https://www.facebook.com/MisasaDeNorudikku/

◇バイオリン美術館‥温泉に因んで音泉と表現している。

(2)感想とコメント(岩淵 泰 先生)

三朝町における大学と地域のまちづくりについて述べます。今回は二泊三日の短い滞在でしたが、三朝町にはまちづくりのポテンシャルを大きく感じました。その中で、三朝に研究所を置く岡山大学がどのような貢献ができるのかを考えてみました。

一つ目は、伝統行事を引継ぐ担い手が不足する地域に若者の力を入れ込むことです。今回のボランティアでは、縄作りから綱引きまで留学生が参加しましたが、日本の文化伝統を学びながらまちづくりに貢献することができました。ボランティアとして地域活動に参画することができます。

二つ目は、三朝町の抱える課題解決に向けて専門的な知見を活かすことです。三朝町では、豊富な湯だけではなく、自然も豊かで、様々なチャレンジを展開することができます。ただ、お土産、滞在型、健康づくり、食事、PRなど総合的なまちづくり戦略も必要になっているように感じました。例えば、湯布院町や黒川温泉などでは、まちづくりの物語が形成されており、人々の活動が、まちのアイデンティティとなって引き継がれています。ブランドとして高めている点は参考になるかもしれません。三朝町は、温泉郷という強みを活かして、新しい客やファンを獲得することに力を入れるべきでしょう。

三つ目は、三朝町がユニークであることは、ラドンやラジウムが健康に役立てられ、研究が行われていることです。三朝町は、研究、教育、癒しのそれぞれが共生する世界的に稀有なまちだといえます。人々が湯を通して癒された歴史、産業の変遷、ラジウムと暮らしの共生など調査の対象になると思います。岡山市と三朝町は、バスで約2時間30かかるため、毎週や毎月の調査・交流は難しいかもしれません。しかし、三朝の持つまちづくり資源を研究や教材として活用することは、大学と地域のまちづくりを明白にするにあたって、大変有効なのではないかと思います。

ところで、古来より、日本人には、地域コミュニティ自らが山林や田畑、そして集落や街道を守り整備してきた歴史・文化があります。その大切にされてきた山林や田畑、そして集落や街道を基点に地域コミュニティはそれぞれ独自の歴史や文化を育んできました。こうした歴史や文化、景観を如何に未来へと継承すべきか、今回のように、本来は地元の皆さんが中心となって準備する「陣所大綱引き」に、準備段階から、よそ者はおろか外国人が大勢参加して、汗をかくことを甘受するといった新たな動きがあることに心をうたれ、そして大きな気付きを得ることができました。また近年では、「本来、まつりは誰のものなのか」という原点回帰の論議が注目を集めています。街道沿いの往来に軒を連らねる温泉街は、地元と来街者が集いあう共同利用の場所としての顔を持っていました。もはや人口減少が急激に進む地方都市の問題は、地元と来街者の双方が参加しなくては維持できない時代が近づきつつあることを意味しています。いまこそ、歴史や生活文化と人々の心を紡ぎ、地域の共有財産としての地域資源の価値を再発見できるような取組みが必要でありましょう。そうした積み重ねから、地域創生に対する成熟した意識を生み出すことが可能となりましょう。

(3)感想とコメント(三村 聡)

一般的に、地域における祭事や諸活動が、個々独立した事象として運営、或いは開催されることは、統合的なまちのグランドデザインを描くうえや、まちづくりの観点からみれば、限られた活動資源の散逸となるケースが多いと思われます。本来、それぞれの組織・団体が独自の個性を発揮しながらも、インバウンド(外国人観光客誘致)の議論も含んだコミュニティ・デザインの形成からすると、地域を構成する人々が、これまで以上に、同一ベクトルを保持しながら進むことが望ましいのです。それは、最初は何気ないベクトルの相違が、時として大きな対立軸を生み出し、まちづくりの効果的継続性の阻害要因となることが往々にしてあるためです。それを避けるためにも、これからの課題は地域が果たすべき役割や責任を明らかにし、具体的な手順や手法を社会に定着させることが重要です。

また、個人や事業者の利益・利害は前提としながらも「地域にとって大局的な見地で何が必要かという共通軸を維持しながら論議を進めること」が、最終的に地域に関わる人々全体に幸せをもたらすことにつながると考えます。加えて、温泉街の場合、マーケティング的な観点からは、「それが来街者を幸せにしているか」と問う視点が、ますます大切になります。これまで、観光協会や組合、或いは自治体や商工団体はあるにせよ、旅館は旅館、店は店、そして街は街として、それぞれに個別に考えられ、進化してきました。それを支えてきたのが、わが国では、互いに隣人同士が心にゆとりを持ちながら豊かな社会生活をおくるためのルールとして公徳心や譲り合いの精神であるといえます。

現代社会は、社会全体が企業の成長や自己の利益を優先するあまり、こうした日本人が古来より受け継いできた品格までも失いかねない危険な状態にありはしないでしょうか。温泉街やそれに連なる街道の機能の多様化や地域の資産の有効活用などの視点に基づき、地域が主体となり、当該地域や郊外部などそれぞれの特徴に応じて、“訪れる人”と“迎える地域”の交流による温泉街づくりを、新たな視点から支援する仕組みや体制の確立が必要でありましょう。ここ三朝の美しい風景を拡げるとともに地域コミュニティの維持や、景観、自然、歴史、文化等の地域の資源を活かした多様な顔を持つ温泉街の形成を目指したいものです。さらにグローバルな観点からは、三朝が持つ陣所大綱引きに代表される、個性ある地域資源に磨きをかけ、そこに暮らす人々が誇りを持ち、訪れる人を魅了する、そして、世界に発信できる質の高い歴史・文化・風景・祭りの形成を目指し、途絶えることにない、息の長い運動を展開しつつ、復古・再生、新たな交流空間の創造をすることを目的とされることを念じます。