2月11日、思ったより早くに仕事が一段落したので、午後3時からクルマを出して、久しぶりに総社市にある「鬼ノ城」を訪れ、城内を半周して汗をかきました。古代の遺跡が点在しており、またシダが群生しているエリアがあるなど、ちょっとしたタイムスリップが味わえるところが気に入っています。
総社市のHPを引用しますと「鬼ノ城は、古代の正規の歴史書には登場しないが、後世の文献である鬼ノ城縁起などにでてくる。それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・」。これが、一般に温羅伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来している。また、鬼ノ城は、すり鉢を伏せたような形の山で、斜面は急峻だが頂部は平坦である。この山の八合目から九合目にかけて、城壁が2.8kmにわたって鉢巻状に巡っている。城壁は、一段一列に並べ置いた列石の上に、土を少しずつ入れてつき固めた版築土塁で、平均幅約7m、推定高は約6mもある。要所には堅固な高い石垣を築いており、その威圧感は天然要害の地であることとあわせ、圧倒的な迫力をもっている。このように、版築土塁や高い石垣で築かれた城壁は、数m~数十mの直線を単位とし、地形に応じて城内外へ「折れ」ていることに特徴がある。城壁で囲まれた城内は比較的平坦で約30ヘクタールという広大なもので、4つの谷を含んでいるため、谷部には排水の必要から水門が6ヶ所に設けられており、また、出入り口となる城門が4ヶ所にある。城内には、食品貯蔵庫と考えられる礎石建物跡や狼煙(のろし)場、溜井(水汲み場)もある。この他に城内には貯水池とみられる湿地が数ヶ所ある。さらに兵舎、各種の作業場なども予測されるが未発見である。」と紹介されています。
確かに、古代の城の痕跡が、こんなに鮮やかに残っているスポットは珍しいのかも知れません。県外の方で、岡山を訪れる機会がある際には、ぜひ、登って頂きたい名所です。