岡山放送の第614回番組審議会が、6月28日(水)に岡山放送本社(岡山市北区下石井)で開かれ、5月27日に放送された「幾千のときを超えて ハンセン病患者はなぜ解剖されたのか」について意見が交わされました。委員長は大原謙一郎先生、副委員長は小職、そして越磨潔氏、西川智洋氏、平田成正氏、藤元恭子氏、和田基宏氏の総勢7名の委員による審議でした。
委員からは、「ハンセン病問題を考える良い番組で、責任追及だけでなく多角的に意見が盛り込まれ、未来への展望が感じられた」という意見や、「重いテーマを若い世代にも受け入れてもらう工夫が必要だったのでは」といった指摘がありました。
さて、今回の番組審議は、委員を10年以上務めさせて頂いている小職の中では、最も社会性の強い番組の一つでありました。番組の発端は、岡山県瀬戸内市長島にあるハンセン病収容施設に収容された入所者の約8割にあたる1834人の方が死後に解剖されていた記録である「解剖録32冊」が発見された、つまり、廃棄されず保存されていた事実が明るみになったことから始まりました。全国14の療養所、そして長島には二つの療養所があり、35年前にかけられた自由に行き来できる橋がシンボルとなり、国も新たな発病が無い(もともと伝染しない)ハンセン病差別への非を認めましたが、実は、まだ根深い問題が残っていたことを番組は指摘しました。まず番組では、本人や家族の同意はあったのか、無かったのか、日本国憲法が唱える基本的人権の尊重や生存権、さらには幸福権として、現在、取り組みが深まるSDGs=ウェル・ビィーングとの関係性など、様々な問題提起がなされました。そして番組では、多くの図解や当時の写真、そして数多くの関係者へのインタビューを精力的に展開、こうして様々な角度と証言から事実関係を積み上げて、真相をあぶりだしてゆく番組展開の手法は迫力を越えて、テレビメディアが持つ最高の映像、聞きしに勝るドキュメントの神髄を見せてくれました。また、その取材は全国の施設に実施され、番組は全国に14ある収容施設のうち、解剖は11か所で行われ、解剖録が6か所で発見され、この事態は全国的であったことから、誰が指示を出したのか、それは戦前では国か軍か、さらに熊本の国立療養書菊池恵楓園では、389人が解剖され、その遺体から骨格標本がつくられていた事実をあぶりだしました。
とりわけ、戦前には、陸軍の化学兵器虹波(こうは)の効果を試すために「人体実験」がなされた史実、それは、731部隊が中国人捕虜にした人体実験と同じではないのか、との問題提起に至りました。そのために、こうした歴史を明らかにする取り組みとして、資料を永久保存化する活動が進められようとしていることを番組は伝えました(資料に法的な保存義務がない)。 かつて、公務でアメリカの首都ワシントン上院を訪問した際に、スミソニアン博物館を訪問してゼロ戦やエノラゲイを見学すると同時に、アウシュビッツの記録をとどめた「ホロコースト博物館」を見学いたしました。そこには、当時、ナチスにガス室で虐殺されたユダヤ人捕虜市民の履いておられた靴がうずたかく積み上げられていた凄惨な記憶が蘇りました。
こうして、解剖録を閲覧できるのは、遺族と医師に限られるなかで、戦前、1930年当時はレントゲンが無いため解剖しかないとしつつ、その解剖の事実は1998年まで、100%に近い解剖率で続き、人権擁護委員会(近藤弁護士)から、死者への尊厳が問われ、さらに治療が確立したあとも平成まで解剖が続いたのはなぜか、との更なる問題提起が続きました。遺族の同意が必要としながら、写真をとって重さを量り、ホルマリン漬 脳、心臓、睾丸まで全臓器を保存、内心は辛いが承諾する人がほとんど、同意しない人もいたとの証言を得ています。一方で、入所者は、女医さんが親身だったので、また解剖が当たり前との常識が園内に定着していたために、先生への恩のため断れないという、日本人的な畏怖畏敬の念、また恥の文化ともいえる環境が閉鎖的な島の施設や入所者を送り出した親族の心には醸成されていたと想像させられました。その親身に入所者と向き無いながらケアに従事した医師や看護師に罪はあるのか、そして身内にライ病患者(ハンセン病)がいることを世間に知られたくないという親族の行動に罪はあるのか、人間の持つ深層心理にまで、番組は迫ってきました。つまり、2016年、ハンセン病原告団は、国に勝訴、国は責任を認め180万円の補償を実施しましたが、家族の多くは名乗り出ないケースが多く、邑久光明園でも連絡すらしてほしくないと言われた事実をソーシャルワーカーが証言します。つまり患者の子供たちは、娘の結婚に差し障る、また補償金をもらうと、顔を出すことになり会社にも迷惑がかかる、実際に姉の結婚が破談になった、だから元患者遺族は「絶対に言わない」(泣き寝入り)、すなわち、身内にハンセン病患者がいると、逃亡者として隠れて生きるしかない状況に置かれた事実を改めて伝えました。
しかし、番組は、こうした状況のなかで、解剖録を見たいという家族が現れたことを伝えます。「祖父の兄せんたろうさん、1941年死亡、位牌だけがあった。どんな一生を迎え終えたのか。解剖録から、せんたろうさんの死因は、肺結核で死亡(自殺でなかった)という事実を知り、顔写真も見られ安堵した(家族と対面できた)、そして彼はまっとうに生きられたという証を得ることができた」と証言されました。そして、番組の最後に園長が謝罪、この事実を明らかにするためには解剖に関わった人からの証言が必要であるとして、2022年、愛生園は解剖録の一般公開に踏み切りました。そして顔写真を公開することで、泣き寝入りするとした、黙ることで家族を守る時代では無いことを宣言、社会から偏見無くしたい、こうした社会問題をみんなで考え、誹謗中傷を無くす社会を作りたいとして番組は括られました。
このドキュメンタリー番組のインタビューに応じられた多くの関係者と制作を担当されたスタッフの皆様に、心より敬意を表させて頂いた貴重な番組でありました。
これまでも、何度も学生たちを長島へ案内して、ハンセン病の生んだ差別について、学生たち自らが考える時間を設けて参りました。
今回の番組を通じて、この歴史が生んだ事実について、新たな考察と私たちが未来を拓くために求められる成すべき勇気について、もう一段、深く、検証して参り、実装することを誓わせて頂きました。