岡山放送第612回番組審議会

第612回を数える岡山放送番組審議会が、4月26日、岡山放送本社で開催されました。番組審議に先立ち、委員長、副委員長の選任が話し合われ、委員長は、引き続き、大原謙一郎大原美術館名誉館長が選任され、名誉なことに副委員長として、わたくしがご指名頂きました。微力ながら、精いっぱい務めて参ることをお約束いたしました。

さて、この日の番組審議は、2月18日に放送された、医療健康活動を展開している一般財団法人淳風会のプレゼンツ「いのちを描くアーティスト~現代美術作家 高橋秀の挑戦~」についてでした。番組のスポンサーである淳風会さんでの個展が番組の中で紹介され、企業や組織団体の社会貢献の話題が織り込まれていました。また、倉敷はじめ岡山の人と海外の人が、番組の中で自然につながろうとしている番組に、こうしたスポンサーさん方式での、地域性や社会性の高い番組作りが、これからのローカル局に求められるメインストリームなのかも知れないと感じました。主人公の現代美術作家、高橋秀さんは、1930年生まれの92歳、「芸術はわかる、わからないでは無い、感じることだ」、「外から感じた日本の姿が、文化的にはみじめだ」と語る姿勢は、なんとかせねばとか、単なる評論ではなく、自らも作風を変えるために苦悩しながら、その苦悩と進化のプロセスを、貴重な彼や藤田桜さんというパートナーの写真と作品をうまく使いながら、動画のように番組が編成されている点を高く評価させて頂きました。
さらに、大学で教鞭をとり、子供たちに絵画教室を開催、後進の指導のために社会との関りを通して、社会のお役に立つ活動を実践している実録番組に仕上げられていました。つまり、90歳超えた方の言葉には、重みがあると同時に、アーティストという職業人としてのプロの魂を教条的でなく、淡々と「言霊(ことだま)」に乗せて言い切れる凄さに感激しました。

特に模倣から自らの作風にたどり着くまでのプロセス、それを海外でみつけ、また、画家が筆を持たない生活を続ける、この実話からは大いに学び、得るものがありました。例えば、私たち研究者は、最初は担当教官の教えを理解するところから始め、その研究領域では、海外研究をベースとして、広く先行する研究者の論文を読み解き、そこから研究を重ねて自らのオリジナルな考えや手法を学会や論文で発表します。そう簡単に、一人前にはなれませんし、私のように、なれないままで終わるケースの方が多いかもしれません。還暦超えたくらいでは、まだまだ、雑巾がけだと改めて感じました。

あと、BGMとナレーションも飾らず、わかりやすく、そして、時々、挟まれる倉敷市「沙美海岸の寄せては返す波の映像」が、この番組の終焉を、若い時には海外へ出かけるも、人生の週末は、瀬戸内海を舞台にして、最後の進化を遂げようとする秀さんの姿と、とてもマッチしていて、さすがOHKの真骨頂と感じました。
人生100年時代を如何に輝き続けて生きることができるのか、素晴らしい番組でした。

審議会終了後、同社で開催中の『ユニバーサル٠ミュージアム岡山』ヘ、中静敬一郎社長がご案内くださいました。

岡山放送のプレス発表では「来場者が多様な作品群に実際に触れ、触覚(視覚以外の感覚)に集中することで、感覚の多様性に気づきを与えていきます。 視覚優位・視覚偏重の従来の展示のあり方を問い直した、ユニバーサル(普遍的)な展示は、単なる障がい者対応・弱者支援という枠を超えて国際的にも注目されています。本展では、25作家、約170点のすべてさわれるアート作品を3つのセクションに分けて紹介しています。導入部のセクション1では「なぜさわるのか、どうさわるのか」を来場者に試触していただき、続くセクション2では、安全性を確保した上で、あえて会場内を暗くし、「見ないでさわる」ことで、視覚を使わない解放感を体験していただきます。最後のセクションでは、「見てさわる」ことでより深く理解できる作品を集めた構成になっています。この他にも、音を振動で感じたり、映像無しに音だけでスポーツを観戦したりと、音を聴覚ではなく身体でさわる感覚として捉え直すことができる作品も展示しています。(岡山放送より)」と紹介されています。

会場では、本企画を監修された「触文化」を提唱する全盲の文化人類学者、国立民族学博物館の広瀬浩二郎教授にお迎え頂く光栄に恵まれ、広瀬先生自らのご説明を頂きながら、興味深く拝観させて頂きました。
誠に多くの感動と発見、そして学びを頂きました。

[関連リンク]