パリ経由帰国の途

11月30日(水)、早朝、トラムでボルドー駅まで向かい、TGVでボルドーを発ち、一路、パリを目指しました。パリはモンパルナス駅へ到着しました。駅前のコミュニティサイクル「ヴェリブ (Velib’)」は、利用者が多いようで、車両は残り少なくなっていました。ヴェリブ(Velib’)とは、パリ市が2007年7月から運営をはじめたレンタサイクルです。約300メートルおきに自転車ステーション(自転車の貸し出しおよび返却ができる)があり、自転車の貸し出し・返却用の機械(ボルヌ(Borne))は24時間利用できます。

さて、モンパルナス駅からは旅行用のスーツケースが相当に重くなっていましたので、タクシーを利用してソルボンヌ大学の正門へ参りました。パリは早くから道路空間の再配分に着手して、バス専用道が設けられ、このバスレーンを通行できる車両はバスとタクシーと自転車となっています。したがって、一般の乗用車などの車両は渋滞するのですが、公共交通のバスとタクシーは渋滞なしに目的地へ行くことができます。さらに、自転車も本格的な車両はバスやタクシーに優先しながらすいすい走行できるシステムになっています。私たちも渋滞せずにソルボンヌまで着くことができました。ここも見事な歴史ある建物です。ここは入校するのに検閲がありましたので、今回はアポなしのため入校は断念しました。大学正門前のコミュニティサイクルのポートには、きれいにヴェリブ (Velib’)が整列していました。大学前の大学ショップで、ソルボンヌ大学グッズを孫に土産として買い求めました。
ソルボンヌ大学からセーヌ川の左岸にあるカルチャラタン地区と呼ばれている一角まで荷物を曳きながら移動、そこで古いお店を選びランチをとりました。ここではエスカルゴを頂きました。カルチャラタンは反政府運動の拠点となった地区として、日本の学生運動にも影響を及ぼした象徴のエリアです。火災で大被害を受けたノートルダム寺院も見ることができ、修復工事が進んでいました。

そして地下鉄で、一路、パリ=シャルル・ド・ゴール空港へ向かいました。帰路は日本航空でしたので、また、岩淵泰先生のJALカードで、専用のラウンジで出発までくつろぎながら時間調整をさせて頂きました。持参した丸五さんのデニム地のシューズで、足の自由を確保しながらの旅でした。
飛行機は定刻に離陸しました。

12月1日(木)、眼下に雪を頂いた山脈が連なり、人が入ることを拒む自然の風景がしばらく続きました。その後、中国大陸内部のまちを見下ろすことができました。巨大な機械的に計画された工業団地やマンション群が連なる都市の姿がありました。そして海が見えてきました。機内の飛行航路マップでは、大連から青島にかけての上空を通過しているように思いましたが、大きな都市の姿を望むことができました。そして日本海を横断して、いよいよ羽田沖が目視できました。日本時間では夕方でしたが、無事に羽田空港へ帰国、コロナ感染のチェックに少し時間がかかりましたが、入国手続きを全て終え、さらに乗り継ぎで岡山空港、マイカーで自宅まで帰り着きました。