誠に残念で悲しい出来事

安倍晋三元首相が、7月8日、奈良県で遊説中、凶弾に倒れた。
私が20年間勤務した社団法人金融財政事情研究会は、福田赴夫元総理が、戦後間もなく、昭電疑獄で大蔵省を辞任、浪人時代、思想の右左を問わず戦後復興の道筋を研究する会として創設した勉強会が母体であり、大蔵省と文部省(指定学術団体)が共管する公益法人であった。そのため、霞が関は政治色の中立が原則と言いながら、福田康夫元首相が理事を務めた時期もあるなど、安倍元首相所属の「清話会」の動きは影響力が大きく、金融制度改革や金融の国際化、行財政改革や税制改正の行方を占う際に、業務遂行上、常に注視していた(いまは公益法人改革でその機能は無いと思料)。

大学教員になった後は、こうした永田町との関係は全く無縁で過ごしてきたが、第2次安倍内閣が成立、内閣府にまちひとしごと創生本部ができ、地方創生が本格的に政治課題の中核となった。その政策の一つとして、内閣府からの派遣者として、岡山大学執行部の命により、井原市の地方創生を担当することとなった。そして任期終了後も、井原市の創生総合戦略や総合計画はじめ、高梁川流域連携中枢都市圏構想(7市3町対象)など、岡山大学の社会貢献、社会連携活動の視座から、現在まで地方創生のお手伝いを続けている。

安倍元首相の思い出を振り返ると、私たち国からの派遣者は、内閣府や首相官邸で、安倍首相や当時の石破茂地方創生大臣、小泉進次郎政務官から、直接、まさにトップダウンで薫陶を受け、少子高齢化、人口減少対策、東京一極集中の改善など様々なテーマで勉強会を続けつつ、国と担当自治体をつなぎながら地方創生のお手伝いに汗をかいた。思想信条はともかく、卓越した政治家としての言霊の凄さとも言える安倍首相の力量に圧倒された。
かつては「アジアの奇跡」と呼ばれ、一時はGDPを世界2位にまで押し上げた日本の戦後復興が、放置すれば「消滅都市」が全国に危惧される危機的な現代にあって、政策や言動の成否、功罪の議論は脇に置き、政策の主眼を「地方創生」に掲げて邁進した、安倍晋三という政治家を私たちは決して忘れることは無い。
日本がいつまでも民主主義国家であり続けることを改めて祈念しつつ、誠の哀悼の意を込めて合掌。