石鎚神社総本宮と前神寺

高速サービスエリアも全国的に味の逸品メニューがふえてきています。
GW初日の4月29日は愛媛に帰省です。
四国自動車道、讃岐豊浜SA下りの将八うどんをお昼に食しました。
お味は絶品、コシのある太麺は、長いお団子を頂いている感覚です。
田舎の空き家の片付けに参る前の腹ごしらえ完了です。

さて、墓参りを済ませてから、自宅に久しぶりに止めていた電気と水道を通して、掃除にかかりました。最終的な父と母の遺品の整理といった位置づけです。
生前の思い出を辿りながら、父の部屋と母の部屋の片づけを完了することができました。
また、暮れに刈った庭木を、納屋にそのままにしておいたのですが、乾いていたので古い甕を出してきて、火事にならぬよう気を付けながら、その中で燃やしました。
さて、その夜は、西日本最高峰石鎚山を祀る石鎚神社総本宮の石鎚会館に逗留しました。

夕飯を頂いてから、近くにある「湯之谷温泉」に参り、力仕事の疲れをとるために、ゆるりとした時間を過ごしました。愛媛県の温泉(冷泉ですが)では、珍しい白濁の源泉かけ流しのお湯です。子供のころからある古い温泉場で、一時、客足が遠のいていたと記憶していましたが、宿泊所や食事処も併設して完全にリニューアルオープンしていました。

同温泉のHPによれば「温泉利用許可昭和39年1月18日 愛媛県指令薬第一号。敷地内で自然湧出する、およそ1400年の歴史を有する上質な自家冷鉱泉です。泉質は、ナトリウム・塩化物・炭酸化水素塩冷鉱泉(低張性弱アルカリ性冷鉱泉)で、硫黄分も含まれています。湧き出るときは無色透明ですが、湯の花が出て白くなることも…細かい湯の花が雪のように舞うのが見えます。女性にうれしい美肌効果も期待できます。」とあります。
ぜひ、一度、お立ち寄りされることをお勧めいたします。

さて、5月1日は晴天、石鎚神社の本殿にお参りをいたしました。
ここからは瀬戸内海燧灘を一望することができます。
小学生の頃に遠足に来た思い出があります。
小さかったので、凄く遠かった記憶が鮮明に残っています。
朝からコロナ禍退散と自然災害復興の祈願が続けられていました。
息のあった祝詞奏上に感服いたしました。

また、ここ石鎚神社に隣接するほど近くに、四国八十八ケ所第六十四番札所「石鈇山 金色院 前神寺」があります。四国八十八ケ所霊場会のHPを引用させて頂くと、「山岳信仰の山として崇拝される日本七霊山の一つである石鎚山(標高1982m)の麓の霊場で、真言宗石鈇派の総本山であり、修験道の根本道場でもある。開創は、天武天皇(在位673~86)時代に修験道の祖・役行者小角が石鎚山で修行を積んだ後、衆生の苦を救済するために釈迦如来と阿弥陀如来が石鈇山大権現となって現れたのを感得し、尊像を彫って安置し祀ったことに縁起する。その後、桓武天皇(在位781~806)が病気平癒を祈願し成就されたことにより七堂伽藍を建立し、勅願寺「金色院・前神寺」の称号を下賜された。以降、文徳天皇、高倉天皇、後鳥羽天皇、順徳天皇など多くの歴代天皇の信仰が厚かった。後に空海(弘法大師)も2度石鎚山を巡鍚し虚空蔵求聞持法や護摩修行、断食修行などを行ったことが知られている。江戸時代には、西条藩主松平家の祈願所となり三つ葉葵の寺紋を下賜するなど寺運は隆盛を極めたが、明治維新の神仏分離令により寺領を没収され、一時は廃寺を余儀なくされた。明治22年に前神寺として復興をはたし真言宗石鈇派総本山として法灯を伝えている。毎年恒例の7月1日からの「お山開き」には白衣姿の信徒が結集し、法螺貝の音に「なんまいだ」を唱和している。」とあります。

西条藩の家紋である「葵のご紋」(正式には角切三つ葉葵)が、お寺の随所にありました。子供の頃に、農繁期が終わり、疲れを癒すための湯治に祖母に連れられてきた際に、お参りした、とても古い記憶があります。

足早にお参りを済ませて、この日も実家で片づけの作業を夕方まで続けました。
帰りは渋滞があると大変だと思い、一気に岡山まで戻り、児島インターで下車、「幸楽」で、ラーメンを食して帰宅しました。