福岡県の由来

コロナの影響でTVを見る機会が増えました。
何気にチャンネルを変えると、福岡県の由来について「日本人のお名前」という面白い番組がされていました。
岡山県に長く暮らしていますと、福岡県の地名の由来は、現在の岡山県瀬戸内市備前福岡地区に由来することは地元の方から聞いていました。
備前福岡地区に祖父を持つ戦国武将の黒田官兵衛が、関ケ原の戦いのあと、1600年、息子の長政に筑前52万石が与えられ、1601年、当時は福崎と言われていたこの地を官兵衛の祖父に縁の福岡と改めたとされています。


瀬戸内市のHPを引用すると、備前福岡は「中世には山陽道随一と云われた商都であり、人・物・金・情報が集う賑やかな場所でした。国宝「一遍上人絵伝」に描かれた「福岡の市」でも有名なところです。かつては備前守護が置かれた備前地域の要の地でもあり、吉井川の中州を利用して築城された福岡城の側に商業地が発展しました。今でも中世から続く整然とした広い道、防御機能が町並みの残っており、かつての繁栄を偲ぶことができます。」(中略)「備前刀は国宝の刀剣類111口のうち55口を占め、その生産量も他の地域を圧倒していました。そんな備前刀の生産の中心が『刀剣の聖地・長船』です。備前福岡には鎌倉時代に活躍した福岡一文字派と呼ばれる刀工集団がおり、天正18年(1590)の小田原攻めの際、黒田官兵衛は北条家から福岡一文字派が作った家宝の太刀「日光一文字」(国宝)などを贈られています。」(中略)「近江黒田村(現:滋賀県長浜市木之本町)から追われた黒田官兵衛の曽祖父・高政と祖父・重隆は一族を引き連れて『備前福岡』に移住し、黒田家再興の基盤を整えました。やがて黒田家は播磨に移住し、官兵衛と子・長政は大名、大大名へと発展します。黒田家にとって『備前福岡』は”礎(いしずえ)”の地なのです。慶長5年(1600)に関ヶ原の論功行賞で筑前52万石を賜った官兵衛と長政は、博多の隣に新たな城を築きます。その地に「是本を重んじ始を忘れざるの意」という思いを込めて『備前福岡』から名を取り、『福岡』と名付けました。福岡県福岡市の地名の由来はここ『備前福岡』だったのです。 ちなみに『備前福岡』の初見は永万元年(1165)です。」とあります。


実際に、妙興寺には、黒田家の墓所があり、官兵衛の祖父である重隆(NHK大河ドラマでは竜雷太が演じた)のお墓がその中心にあります。また、その墓所の数メートル先に、岡山城を築城した宇喜田秀家の祖父である宇喜多興家(直家の父:大河ドラマでは直家役を陣内孝則が演じた)のお墓もあり、この地が、古からの要地であったことが偲ばれます。
さて、もともと、この地方は博多商人のまちとして長く栄えてきましたので、明治維新、廃藩置県で地名を何と決めるかで、旧福岡地区(城下町)と旧博多地区(商人町)との間で、大いに論争があり、議会での投票の末に福岡県と命名され、現在に至っていると、命名のエピソードを面白く扱った番組でした。
一方で、鉄道開通と共に駅名は博多駅とされ、さらに新幹線の九州乗り入れと共に博多の名称は日本全国を代表する地名として、いまも輝き続けています。
全ての新幹線が停車する岡山駅を持つ岡山県人ではありますが、このエピソードは、誇らしくもあり、逆に博多という地名を愛する皆さんにとっては、福岡の地名は借り物で面白くない話なのか、いずれにせよ、黒田家が1600年に筑前の地を与えられた歴史の大きな節目が、いまに続いているという興味深い番組でありました。