新年度スタート

今年度は地域総合研究センター創設10周年を迎える節目です。自らも第4コーナー過ぎて最後の直線、ゆるゆるソロソロですが、歩みたいと思います。

新年度が始まり、4月1日、旧事務棟にある窓には、久しぶりに学生たちの声が届きキャンパスに活気が戻りつつあります。この春から総務企画部に異動した高月希一郎部長が部屋を訪ねてくれました。

昨日、3月31日、偶然、職場で廻ってきた回覧『国立大学』2021年5月号の表紙に、山極壽一京都大学前総長をみつけました。実務が長かったので恥ずかしいほど遅い学位取得でしたが、この御方から壇上で博士号の学位記を手渡し頂きました。その姿を、車イスの母に直接見せることが叶い、喜んでもらえた最期の親孝行を思い出しました。

さて、午前中で諸事を片付け、年度初めでしたが、本日4月1日は父、昨日の3月31日は母の命日であり、午後から休日出勤の代休を頂きました。コロナ禍の影響で、長い間、墓参ができませんでしたので、一路、愛媛へ向かいました。
瀬戸大橋の中間にある与島で桜と瀬戸内海を眺めながら、讃岐うどんで少し遅い昼食をとりました。


松山自動車道を西条インターチェンジで降り、墓前に供える樒(シキミ)を買い求めてから、墓参の前に、地元の桜の名所、加茂川沿いにある武丈公園(ぶじょうこうえん)でひと休み、そして川向こうにある伊曾乃神社に快気のお礼に参拝いたしました。父が他界した春に、看病疲れの母を花見に連れてきた思い出、そして、毎年、伊曾乃神社へは家族全員で初詣に訪れた懐かしい思い出を辿りました。伊曾乃神社のHPによれば、御祭神は、伊曽乃神(天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒魂・武國凝別命)、その由緒として「第十二代景行天皇の皇子の武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)は、国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜられ、皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました。命の御子孫は伊予三村別(みむらわけ)氏としてこの地方にひろがり栄え、天照皇大神に始祖武國凝別命をあわせ祀りました。これが当社の創祀であります。奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の御崇敬もあつく、淳仁天皇の御代には新羅遠征に対する祈願がなされ、その後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの奉幣祈願がなされました。称徳天皇の御代には神戸十烟を、更に翌年五烟を奉り従四位下に叙せられました。これはわが国における神位奉授の始めであります。延喜式内の名神大社であり、その後正一位に極位致しました。崇徳天皇の御祈願と共に勅額を賜り、その後も国司領主等による社地神田の寄進及び社殿の建立等が続きました。昭和15年国幣中社に列格し、昭和57年には浩宮様(現皇太子殿下)も御参拝されました。」とあります。朔日とあってか、巫女さんの舞を見物できる幸運に恵まれました。この由緒によれば、小職のご先祖様は、景行天皇ということになります(笑)。

そして、父母の墓参の前に、小松藩主の菩提寺、仏心寺へ恩師のお墓のお掃除を済ませてからお線香をあげ、近況報告をいたしました。椿の花がきれいでした。

それから実家に戻り、法安寺を訪ね、お住職にご挨拶をしてから命日の墓参をいたしました。快気祝いの報告と家族の健康を願いました。ここ法安寺は、愛媛県下で最古の寺院といわれており、聖徳太子の建立と言われています。古の昔を偲ぶように建立当時の布目瓦が境内のあちらこちらから出土いたします。秀吉の四国征伐の折に焼き払われたと伝えられています。現在は、千本牡丹の名所となっています。今年は温暖化のためか、開花が相当に早まったらしく、満開の牡丹を楽しむことができました。

村からは青々とした麦畑の向こうに西日本最高峰の石鎚山をくっきりと眺めることができました。また、見事なチューリップが咲き、実家の前の桜も元気でした。

さて、せっかくの帰省でしたので、道後温泉まで足を延ばすことにいたしました。

入湯の前に、四国八十八箇所霊場の第51番札所の石手寺に参拝をいたしました。四国霊場の中でも有名な寺院で、山門は国宝に指定されています。家内安全の祈願をいたしました。


それから改修中ではありますが、久しぶりに道後温泉のお湯を楽しみました。お腹が減りましたので、かつて家族でよく訪ねた、温泉街にある老舗瀬戸内料理「味倉」にて、名物のアナゴ丼と天然鯛の吸い物を食しました。商店街には、新しい鯛めしのお店が増えているなと感じましたが、老舗の味に満足でした。道後温泉駅前を散歩してから帰路につきました。

気になっていた墓参を命日にすることができ安堵しました。


一方で、新年度のスタートは、少し両親の思い出を辿るために無理をしすぎた感が否めず、帰宅後、微熱が出てしまいました。

ともあれ、少しずつ、以前の体調を取り戻しつつあります。

残りの現役生活、ゆるゆるソロソロ歩みながら、もう一踏ん張りです。