年の瀬から新年

新型コロナ災禍のため、暮れから年明けまでを、独り岡山で迎えることとしました。

こうしたなか、せめて、近所で心元気に新年を迎えましょうと、両備グループのシンクタンクである、一財)地域公共交通総合研究所の町田敏章専務理事に小旅行のプランをお願いし、香川県の小豆島を初めて訪れる機会を得ました。

還暦オヤジの二人旅です。


大晦日、クルマで備前市日生港へ参り、名物の「カキおこ(牡蠣のお好み焼き)」を食してから、フェリーで波の穏やかな瀬戸内海を小豆島へ渡りました。

港からは西回りのコースで海岸線を走り、途中、景色の良いポイントで休憩しながら、名所である「二十四の瞳」の舞台となった小学校を訪ねました。


母が小学校の教師を40年ほど勤めました関係と、郷里の愛媛県西条市は四国山地の山と瀬戸内の島に挟まれた平野に位置するため、母の勤務する小学校は小さな集落にある学校であったこともあり、母の在りし日の教員としての姿が重なり、感慨深く展示品や昔の写真を拝観することが出来ました。


初日は早めにホテルに入り、部屋で休息、夕飯までのんびりとした時間を過ごすことが出来ました。幸いにお気遣い頂き、各自、個室でしたので、窓から見える土庄港へ大型のフェリーや高速艇が入港する様子を眺めておりました。
夕飯は1階のレストラン。ソーシャルディスタンスに配慮されて、隣のテーブルとはかなりの距離が確保されていました。年の瀬にふさわしくアレンジされた品々が運ばれてきます。特に瀬戸内の魚の味付けは絶品でした。せっかくなので、二人で赤ワインを一本注文、体調に留意しながら時間をかけてワインを楽しみました。


体調を崩して以来、あまりお酒を口にしないためか、年末の解放感からか、すっかり酔いが回り、夕食後は二人で会話を楽しむつもりが、あっけなく深い眠りに落ちてしまいました。

翌日は元旦、初日の出にあわせて起床、ホテルの窓から小豆島に昇る初日に手を合わせました。寒さを辛抱しながら土庄の港に出ますと、晴れて澄みわたる空は清々しく、年の初めに心が弾みました。


宿泊客やホテルの方々と年始の挨拶を交わしておりますと、これまた正月にふさわしいお節料理が用意されました。見栄えと味、そしてホテルのもてなしにも満足でした。一方で、ホテルによると新型コロナ災禍の影響で、国が進める「GoToキャンペーン」の停止が決定されたため、100名以上のキャンセルが出てしまい、ただでさえ観光客が減少するなか、年末年始の旅行や里帰りの自粛による宿泊客のキャンセルは、まさに泣きっ面に蜂、途方に暮れているとのコメントでした。


さて、チャックアウト、ホテルの裏にある「土庄八幡神社」へ初詣に参りました。地元の方が中心のようで、あまり大勢の参拝の姿はありませんでしたが、由緒ある神社のようで、八百万の神々が祀られていました。


参拝を済ませてから、海岸線をしばらく走り、冬季のため休業中でしたが、両備グループのリゾート施設へクルマを停めて、プライベートビーチを散策しました。プライベートビーチとあって関係者以外立入禁止のため、静かな海岸は人影がなく、蒼く輝く新年の瀬戸内海は船影もなく、対岸には源平合戦で有名な屋島が堂々と鎮座しています。屋島の全景を海側から眺めたのは初めての経験、源平合戦の時代も、いまと同じ変わらぬ景色が広がっていたであろうなかで、平家が滅亡を迎える攻防戦が繰り広げられたのかと、古の源平物語に思いを馳せました。


フェリーの出向には、かなりの時間があったのですが、港へ島を逆回りのルートで帰路につきました。途中で、道の駅へ立ち寄りました。蔵には催事用の大きな七福神が並んでいました。元旦の記念に恵比須様と自撮りのツーショットさせてもらいました。


港まで戻り、港傍の小豆島八十八か所「第八十番子安観音寺」にお参りいたし、出港時刻を待ち、こうして日生港まで帰りました。

日暮れ時には、少し時刻がありましたので、備前市日生から頭島まで渡り、島の最先端にあるCaféを訪ねました。他に御客は無く、少し寒かったですが、テラスの窓を開放してもらい、ホットコーヒーを楽しみながら、多島美を愛でながら夕暮れを待ちました。


元旦の瀬戸内にも夕暮れが訪れました。

沈む夕日が島陰に沈みきるまで、静かに手を合わせ見つめました。

新型コロナ災禍が収束して世に明るさが戻り、首尾よく再手術が成功することを、夕日が映る海に祈念いたしました。

誠に穏やかな元旦となりました。