巣ごもり憲法記念日

令和2年5月3日の憲法記念日、岡山のお天気は雨模様です。

新型コロナ禍の影響で、感染を気遣い、次女が暮らす東京へ行けないため、孫の1歳の誕生日も控えるしかないGWです。

Web活用のバリエーションが増えて様子がリアルに伝わることが唯一の救いです。


さて、この日は早島町で校務があり出かけました。

会場としてご準備頂いた中央公民館は、一般の町民の方は休館で入れません。

部屋は、換気を十分に確保してくださいましたが、この日は雨で気温が下がり、室内は寒くて上着を着用して、窓を全開にしたまま厚着での議論と作業でした。

この広い部屋を、マスクを着用して二人で使用しました。

午後に一段落しましたので、失礼いたしました。

早島町は、昔からの街並みが残る城下町として歴史あるレトロな風情を漂わせる土地柄で、明治維新以降は、明治22年に早島村と前潟村、矢尾村が合併し早島村となった後は、明治29年に町制を施行し、平成28年には町制施行120年を迎えています。

5月1日現在の人口は12,671人、5,098世帯です。町の広さは岡山県最小で、7.62㎢と、倉敷市水島コンビナートにある、JFEスチールの工場の敷地面積とほぼ同じだそうです。

早島町のHPによれば、「江戸時代、早島を治めたのは旗本の戸川家でした。戸川家の家祖、戸川達安(みちやす)は父秀安の代から宇喜多家の重臣として常山の城を預かっていましたが、お家騒動のため関東に下り、関が原合戦には東軍に加わりました。そして合戦では、敵将石田三成の懐刀と言われた島左近を討ち取ったと伝えられ、その功により備中庭瀬2万9200石の大名として賀陽、都宇の二郡を与えられました。」と紹介されています。


この日は、早島随一の大地主さんだと教えて頂きましたが、「溝手家」の邸宅の周辺を少し散策させて頂きました。

その敷地の広さは岡山県一とも言われています。

緊急事態宣言中の生活の基本は外出の自粛=ステイホームです。

それを前提として、「三密」に最大限の注意を払いながら、買い物や最小限の屋外での散歩などの気分転換は必要です。

今日は校務でしたが、濃厚接触のリスクを避けての作業、そして帰りに、数分、無人の路地をいそいで歩きましたが、新型コロナウイルス禍が収束すれば、ゆっくりと「戸川家」も含め、町内を散策させて頂くことを誓いました。

人に迷惑をかけず、そして自らの命を守る行動が求められています。