苦節、屈折、挫折、55歳の手習い

1月24日、京都大学から博士(経済学)学位取得の通知が届きました。
これまで、官庁所管の公益法人と民間シンクタンク勤務というサラリーマン生活を四半世紀歩んでまいり、その後、50歳を前にして夢叶い大学教員へ転進しました。その間、修士も家族の理解を得て働きながら夜間課程で取りました。そして50歳を過ぎて、ようやく九州大学の博士課程へ進めましたが、結局、力及ばず単位取得退学となりました。拙い論文は岡山大学経済学部の先生方のご厚情により学会誌へ掲載の機会を頂けましたが、肝心の博士論文の指導では、指導を賜っている九州大学の先生に、多大なご心配をおかけいたす結果となりました。
妻は黙って見守ってくれましたが、二人の娘も社会人となり学費が要らなくなったなかで、「お父さんだけが最後まで学生で、おまけに大学の先生なのに学費を納めているのも可笑しな話だね」と冷やかされました。こうしたなかで、去年、研究者としては錆びかかった老骨の頭に鞭を打って、これまでの研究成果を1冊にまとめあげ、親友である出版部長の温情もあり、どうにか単行本として世に出すことが叶いました。それがきっかけで、お世話になった恩人の勧めで、京都大学は課程博士と論文博士の両方の審査制度を採用しているので応募してみたら、とのアドバイスを頂き、ご指導を頂いている九州大学の先生にご相談、ご了解を頂いたうえで、京都大学へ審査請求をさせて頂きました。何とか第1次の「下見」審査をパスし、面接審査に進めました。その口頭試問では、複数の先生方より異なる角度から研究内容や単行本の隅々まで、誠に専門的かつ厳しいご質問やご意見を賜りました。最終審査は経済学部教授会での無記名による合否審査投票があったと聞いておりますが、ようやく1月23日付けで学位授与がされましたという通知を頂くことができました。
博士号に何の価値があるのかという視点では、生きるために活かせる国家資格などと異なり、たぶん運転免許証の方が、よほど価値があるかもしれません。ただ、転職を4回も繰り返して、教員という職業にようやく就けた自分自身にとっては大事な資格なのです。現在、岡山大学の先生方は、若い先生方も、既に博士号をお持ちの方がほとんどです。こうしたなか、今年で56歳になるという定年や退職後の暮らしを考える時期にして、ようやく半人前から「若葉マーク」ながら一人前としての市民権を得られた気持ちであります。人にはそれぞれ人生の目標があると思います。
私の故郷の愛媛県では、小学校の卒業に際して「念ずれば花開く」という言葉が学校長から贈られました(いまはわかりません)。父は公務員、母は小学校の教員でしたが、戦争の影響で高等教育を受けることが許されず、念じても、その理不尽さゆえに花が開ききることはありませんでした。それゆえに、現在、介護施設で暮らす米寿を迎えた母は喜んでくれました。吉田松陰を題材にした大河ドラマ「花燃ゆ」が放送されていますが、彼の辞世の句は「親思う心にまさる親心、けふのおとずれ何と聞くらん」です。今日は、母の施設へ参り、一昨年他界した父の位牌へもあわせて感謝の心を伝えました。もちろん、いつの時代にも社会に内在する理不尽さは存在しますが、戦後生まれの私たちや、特にいまの世代には、松陰の生きた時代や、その後の戦争が引き起こした時代の理不尽さはありません。人生を活かすも諦めるも自分次第です。自らの将来に無限の可能性を持ち続け、それが叶えられると信じて、これからも歩んで参りたいと思います。
学生の皆さん、どうか自らの夢を追い続け、そして時間がかかっても、いつか素敵な花を咲かせてくださいませ。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)