岡山で過ごすお正月は朝から家族で雑煮を食しました。そして午後から介護施設へ入居した母を連れて閑谷学校へ参りました。
▲ 閑谷学校
神社仏閣へ参るひとが多いため、元日の閑谷学校は静かで、ゆっくりと拝観させていただけました。暮れに愛媛から岡山へ呼び寄せました母も、閑谷学校は初めてとあって、車椅子からの拝観ではありましたが、とても喜んでくれました。
元旦とあって、いつもは拝観できない「孔子廟」が開陳されており、はじめて孔子像を拝むことができました。金色に輝く立像は威厳に溢れておりました。
▲ 閑谷学校
二日は次女と最上稲荷へ参りました。京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷と並ぶ日本三大稲荷とあって、大勢の人々で賑わっていました。HPによれば「正式名称は「最上稲荷山妙教寺」。明治の神仏分離令の際、特別に「神仏習合」の祭祀形態が許された、仏教の流れを汲む貴重な稲荷です。そのため、お寺でありながら鳥居をそなえ、神宮形式の本殿(霊光殿)があるなど神仏習合時代の形態を数多く残しています。」とあります。確かに、大鳥居があるのですが、妙教寺というお寺であり、奥には見事な神殿づくりの社があります。
▲ 最上稲荷
また、その本尊については「伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷として、1200余年の歴史を紡いできた最上稲荷。本尊の「最上位経王大菩薩」は五穀豊穣、商売繁盛、開運など多くの福徳をそなえています。また脇神として、水の神さま「八大龍王尊」、開運を招く「三面大黒尊天」が最上尊とともに本殿に祀られ、最上三神と呼ばれています。その教えの基調となる合掌の心(お互いに拝み合い、いつくしみ合う心)は広く信仰を集め、「不思議なご利益をお授けくださる最上さま」として、今なお多くの人々に親しまれています。」とあります。
さらに、ここは本格的な門前町で、一キロ近くはあるでしょうか、参道には、煎餅や饅頭、商売繁盛を祈願する品々、骨董品など、いろいろなお店が軒を連ねています。もちろん、お稲荷さんとあって、いなり寿司がほとんどの食堂にありました。
この最上稲荷の数百メートル離れた場所には、豊臣秀吉の水攻めで有名な備中高松城址があり、また、国宝の吉備津神社や備中国分寺、造山古墳(日本で四番目に大きい前方後円墳)をはじめとする大型古墳群、鬼ノ城(温羅伝説に起因する実在の古城)、憲政の神様と謳われた犬養毅の生家・記念館、これらが全てクルマで5~20分圏内です。
▲ 鬼ノ城
古代から昭和までの生きた歴史の教科書がここにはあります。
最上稲荷に詣でたあと、鬼ノ城へのぼり吉備の国を国見してから、お気に入りのサンロード吉備路で立ち寄り湯です。
そして車中から備中国分寺を眺め、犬養木堂記念館へ廻りました(あいにく休館)。
充実した時間でありました。
▲ 次女と犬養毅生家前にて