森鴎外で有名な高瀬舟です。
おかやま「歴史の旅百選」のホームページによれば「川や浅海を曳舟や帆走する船底の平らな木造船を高瀬舟といい、かつては、吉井川、旭川、高梁川での交通の主役で、江戸時代から昭和初期まで通船範囲はほとんど全県域をカバーし、下りに米、炭、薪、鉄等を、上りに塩、油、畳表等の日用雑貨を積荷としていました。江戸初期、角倉了以(すみのくらりょうい)が幕命により全国の河川交通の開発に努力した際、吉井川の高瀬舟を見て河川交通の範としたといわれるほど全国的に見ても舟運が盛んであったことがうかがえます。」と紹介されています。
ここ、高梁市観光駐車場には、実物大の高瀬舟が飾られています。想像以上に大きい船であることに驚きました。というのも、鴎外の高瀬舟は「高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。」とあるように、「小舟」であるとの印象が強かったためです。京都と大阪を結ぶ高瀬舟は、ここ高梁川で使われていた高瀬舟よりも随分、小ぶりだったのでしょうか、ともかく高瀬舟は、重要な交通手段であったことを学びました。
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