中沢新一さんの講演に驚く

GREEN DAY 2011 in 倉敷 未来を考える

12月10日(土)、倉敷市芸文館アイシアターで開催された、GREEN DAY 2011実行委員会が主催したイベント”GREEN DAY 2011 in 倉敷 未来を考える”に参加しました。この団体は、世界中の森林の持続可能な経営と保全の重要性を広く認識してもらうことを目的として、岡山県備中地域を流れる高梁川水系の自治体の枠を超えた幅広い市民活動として広く地域社会にメッセージを送っています。まず、基調講演として、人類学者で明治大学野生の科学研究所所長の中沢新一さんの「川と生きる」をききました。その内容は斬新で、歴史や文化人類学者からはかなりの意見が出されるのではないかと感じる内容でしたが、それはそれなりに楽しくきかせていただきました(要旨は後掲)。
荒木勝先生と中沢新一さん
その後でパネルディスカッション「GREEN DAY DECADE 活動10年目に向けて」がありました。パネリストは、中村泰典氏(GREEN DAY 実行委員会副委員長、NPO法人町屋トラスト代表理事)、をはじめ同実行委員会の「総社」、「高梁」、「新見」、「笠岡」の各代表の6名です。また、基調講演の中沢氏がアドバイザーとして加わり、モデレーターを岡山大学副学長で地域総合研究センター所長の荒木勝先生がつとめました。
GREEN DAY 2011 in 倉敷会場の様子
中村氏からこれまでのGREEN DAY活動の総括がなされ、各地区の代表が、それぞれの地区での取り組みや課題について報告されました。新見市から総社市、高梁市、そして倉敷市や瀬戸内海の白石島と、上流域から河口のまち、そして瀬戸内海の島までが並んでの同じ川(高梁川)の自然を考えるという活動報告は圧巻で、川や森の自然を守る必要性を実際の活動を通じてリレー形式で紹介してゆく内容には説得力がありました。中沢氏のコメントと荒木先生の会場へ質問を次々と回してゆくモデレーターぶりに会場は熱気に包まれ、多くの参加者から質問や意見が連続しました。
 最後に「持続可能なより良い未来の高梁川流域のためのものさし」15項目が発表され盛況のうちに閉会となりました。

【中沢新一氏の講演の概要】
「3世紀に黄河と揚子江を挟む流域で漢民族が台頭したため少数民族が東に追われ、そのなかでも最も弱い敗者達が、朝鮮半島を超えて稲作と鉄製造技術をもって日本(北九州)に渡来した。当時の日本に国家は無く、彼らの渡来がきっかけとなり小倉周辺に住んでいた原住民と交わり、そしてヤマトの原型を成す国が北九州に出来上がった。それが縄文から弥生への移行への契機である。その後、彼らは大陸の追撃を恐れて日本国内を東へ移動した。日本海ルートを辿った一団は、そこにもとから住んでいる民がおり、出雲では激しい戦いが行われた。一方、瀬戸内ルートを辿った一団は、吉備の国で原住民と遭遇したが、出雲のような戦いは無く、融合しながら国を成した。それが吉備津王国である。
その後、さらに彼らは東へ行き、河内を経て大和へ入り大和朝廷を建国した。したがって大和朝廷北九州説も大和説も両方が正しいと言える。こうしたなかで、それらの重要な地点には神社が建立された。その地点が海に面した川の河口付近である。その理由は冬至の一番太陽の光が弱い時にその輝きを一番受けることができる地点が岬の突端の高い地点であるためだ。そして彼らの死後に埋葬された地点が神社となった。その典型が稲荷神社であり全国に点在している。京都伏見稲荷などが代表的である。古来太陽は神として位置付けられていて、朝鮮の伝説では、川で水浴びをしていた少女を太陽が見染め、その体内に入り受胎し、生まれた子供を大王とした(ひめこそ伝説)。そして、こうした光を浴びやすい地点からその川沿いの小高いラインに竪穴式住居が造られ、人々の暮らしを支えることとなる。
こうして川からの恵みを受けながら稲作がおこなわれるようになった。さらに5世紀に入ると、大陸で再び戦乱が激化し、難民が大量に発生して、高句麗、百済、新羅などから、さらに進んだ技術を身に付けた渡来人がやってきた。その手引きをしたのが、「海民(かいみん)」と呼ばれる、国を持たない人たちである。彼らは日本海から南西諸島、もしかするとフィリピンからミクロネシアあたりまで広範に海民(かいみん)文化圏を持っていたとも考えられる。彼らの助けを借りてやってきた大量の難民は、再び北九州(志賀島周辺)へ上陸して磐井氏と手を組んだ。ここでのヤマト朝廷軍との戦が「磐井の反乱」の事実であろう。また、古代にこの志賀島を根拠地にして勢力を誇っていた海の民・安曇一族(あずみ)は高度な航海技術を身に付けていた潜水漁労の達人だった(魏志倭人伝 那の国王)。その後彼らは、海沿いを日本全国の地へ移動し、さらに川をさかのぼり永住の地を探した。それが、「あずみ」の謂われであり、渥美半島は「あずみ半島」であったり長野県安曇野は(あずみ野)であったりする。
したがって、日本人は海の文化(漁業地域)、平地の文化(稲作地域)、里山の文化(自然と人が共存する地域)、山の文化(林業地域)が、川の文化でつながっている。つまり、人間の文明と自然に境界を持たないのが日本人特有の文化である。とりわけ、”自然界の思い”と”水田=人間の思い”の両方を持ちより互いが妥協しながら中間的な営みを形成するのが里山である。これを入れ子状態であると表現したい。ヨーロッパにはそのような発想は無い。彼らは人間の営みを中心に考えるため、改革の対象が自然であり、自然の摂理の相反する行動を合理的と考える場合が多い。すなわち、日本人は常に自然と向かい合うが、ヨーロッパは人の理法で自然をコントロールしようとする。こうした点を理解せずに、しばしば西洋人は「日本人は論理的思考が弱い」と批評する。一方、日本人にはこうした人と自然を分離しない回路がDNAとして受け継がれている。自然と人間の営みの矛盾を矛盾として感じない日本人を「矛盾的自己同一」として西田幾太郎は扱っている。ギリシャ哲学には、こうした考え方が見当たらない(この点は荒木先生のコメントを頂きたいと聞いていて思いました)。
川は絶えず流れている。流れるものと生きる同一性を日本人は有している。この素晴らしさを子供や孫の代へ継承する責任を団塊の世代や50代の日本人はおっている。これ以外に伝えるべきことは何もない。自然界を組み込めるとした「グローバル資本主義」(無機質な商品交換至上主義社会)は崩壊した。私たちは分けあう(贈与の思想)を大切にしてきた。グローバル資本主義のツケをわれわれ国民に負わせようとする企てに組みする政府は間違っている。それは原発問題しかり、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)しかりである。いつまで欧米型の思考回路や政策におもねってみても、新しい日本は形成できまい。それどころか再生の糸口すら見失ってしまう。これまの長い歴史の中で育んできた文化の継承や自然界と共存する生き方にこそ、「川と生きる」私たちの真の姿があると思う」
以上です。

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