本当にお世話になった上司でした。
コロナ渦のため、11月19日のお通夜は現役幹部に絞られるとの知らせを受けましたので、献花をお届けして、故人を偲ばせて頂きました。
さて、20年間勤務した社団法人金融財政事情研究会は、内閣総理大臣経験を持つ故福田赳夫氏が創設した、当時は大蔵省で最も大きな公益法人でした。私が社団事務局の担当の頃ですが同じく内閣総理大臣をつとめた福田康夫氏が理事であった時代もありました。つまり、清話会の流れが見え隠れする社団法人の顔がありました(公益法人改革が始まる前には政治家役員はいなくなっていました)。また、理事長こそ大蔵官僚が天下っていましたが、一方で補助金はゼロ、職員に出向や天下りはまずいなくて自営(プロパー職員)で運営をしている点が特徴でした。ですから事業計画と収支にはシビアであり、大蔵省のみならず文部省の学術団体であり、さらに法務省や国税庁との縁が深かったため、クリーンな経営を旨としつつも民間企業より厳しい経営をする顔を持っていました。
こうしたなかで、バブル経済が崩壊して、不良債権処理の問題が表面化、裁判化したときのことです。複数の銀行の頭取が国から責任を追及され告訴されました。そこで驚天動地の事件が起こりました。倉田専務理事が、裁判の証人として召喚されたときに、本来は大蔵省の公益法人として金融行政をみてきたのですから、国の立場で銀行の責任を追及する証言をするのが自然です。ところが、「銀行にも責任はあったと言えるが、大蔵省にも監督責任があり、銀行のしかも頭取だけを責めるのはおかしい」、「大蔵省の責任は如何に、それを明らかにしてから銀行の責任を追及するのが筋ではないか」とやらかしました。これには大蔵省も絶句でした。専務理事は、何度か呼び出されましたが、意見を変えることはありませんでした。
調布にある隠れ家の焼き鳥屋で理由を聞きました。すると「三村、それは当たり前だ。我々の雑誌や書籍を読み、セミナーや研究会に参加してくれ、さらに教育教材を活用して人材育成をしているのは銀行さんだから、まず我々は銀行のおかげで飯にありつけていることを忘れてはいけない。そして大事な点は、銀行の汚職や粉飾、業法違反や不正は厳正に処罰されなければならぬが、バブル経済の生起と崩壊は、そのレベルをはるかに超えた国家の問題だ。それは公務員たる官僚とて立場は違えど、同じく責任をとる覚悟が無ければ、社会は誰も信用しなくなる。今回の件を大蔵省側の立場だけで斟酌や忖度したら、我々が専門誌として週刊誌を出す資格が無くなる。我々はマスコミとして真実を伝える顔を絶対に忘れてはならない。それがプロとしての我々の企業倫理だ」と語りました。社会人として学んだ最も深い箴言です。