地域総合研究センターの初期の学生たちの活動は、総社市の山手交流館を拠点とした山手村地区でした(平成の合併で総社市と合併)。
3月11日は、久しぶりに懐かしい活動の跡を訪ねるコースを散歩いたしました。
山手交流館にクルマを停めてスタートしました。
目指すは地頭片山(岡谷)の頂上に鎮座する「岡山和霊神社」です。
標高は202mです。
岡山の情報サイト・岡山の街角からのHPによれば「総社市にある和霊神社は、地元では和霊さんの愛称で親しまれる神社です。山の上に位置する立地から、古い参道は山を縫うように続いており、立派な門構えの向こうに写真のような小さいながらも立派な建物が待ち構えています。
この辺りは山登りのルートとして親しまれている辺りですが、この和霊神社付近へ車を停めると頂上の福山城近辺までの最短ルートになります。かつてこの辺りは水田へ用いる水の争いが絶えなかったそうです。
そんな状況を見かねた岡谷に住む小野さんという方が、宇和島の和霊神社で御札を貰ってきました。そして争いがなくなることを祈って、御札を安置しようと山を歩いている最中に足が動かなくなった場所が、現在の総社市岡谷の和霊神社です。
この御札の効果があったのか、争いは起こらなくなり、和霊神社は周辺の住民から厚い信仰を集めるようになったそうです。本家の和霊神社の祭神である山家公頼さんは宇和島藩の建て直しの為に身を粉にして尽くした方ですが、その為に主君と対立してしまい、やがて殺されてしまいました。
しかしその後、奇妙な出来事が頻発し、山家公頼さんの怨念だと噂されるに当たり、彼の霊を鎮め、そして生前の働きに対する感謝の念をこめて作られたのが和霊神社です。
先述の小野さんという方が頼って訪れたように、中四国を中心に広く信仰されており、各地に多くの分社が存在します。ご利益は悪疫を鎮め、勝運をもたらすことだそうです。」と紹介されています。
この紹介にあるように和霊神社は愛媛県宇和島市にあります。
愛媛県の出身とあって、何度かお参りしたことがあります。
さて、山手集落の山沿いを歩きながら、早春の香りを探して散策を楽しみました。
菜の花、梅、椿、タンポポなどが華麗で、気持ちをほっとさせてくれます。
途中、和霊神社への「参道」の標識を見つけましたので、山の中へ歩みを進めました。
舗装は途切れ、少し急な道を進みますと、途中から、かなり急なつづら折りの道が続きます。ちょっとした軽登山の雰囲気になり、病み上がりの身体には、ちょっと無理しすぎかなと少々後悔しました。それでも休み休み歩みを進めると、かなりの傾斜のまっすぐに登る古い石段が現れました。
何とか上がると、またもやつづら折りの参道が続きます。そしてようやく山門まで続く最後の石段にたどり着きました。
山頂につきますと、そこは大きく開けていて、見事な社が現れました。
ひと休みしてから和霊神社の縁起を眺めながら、愛媛県と岡山県にも深いつながりがあることを知り、ここまで登った甲斐があったと満足しました。
境内の裏へ回ると、なんと広い駐車場があり、クルマがとまっていました(山頂までクルマで来られることを初めて知りました(笑))。帰りは、車道を下りました。丁度、反対側に降りましたので、地頭片山を半周することになりました。
こちら側からは総社市と倉敷市との市境である西坂台エリアへ出ることになりました。昭和16年に造られたとの記載がある「広谷池」でひと休みしてからスタート地点の山手交流館へ戻りました。約12,000歩の歩数でしたが、高低差がありましたので平坦な道を散歩するのと比べて、結構な大汗をかきましたので、久しぶりにサンロード吉備路にある吉備路温泉で疲れをとりました。
これから散歩するときは、事前にコースを確認しておかねばと苦笑いたしました。
一方で、少しずつながら体力の回復に自信を持つことができました。
懐かしい風景を楽しみながら、地頭片山まで初登頂できたことに満足いたしました。