四国八十八か所巡りの旅⑥

南面山 千光院 屋島寺

民宿「ささや」では、昨晩は愛想の良い女将さんと若女将にお出迎え頂き、広いお風呂で汗を流してから、食堂で夕食となりました。ここでも大きな鍋に作られた「うどんすき」がメインディシュであります。朝、昼、晩と3食がうどんという讃岐ならではの思い出に残る一日となりました。すべて完食させて頂きました。そして、朝食も美味しくいただきチェックアウトいたしました。
いよいよ四国八十八か所の旅も最終日、11月6日となり、目指す札所である屋島寺に詣でました。
ここは源平合戦で有名な屋島の戦いがあった土地柄であり、那須与一の物語が伝えられています。美しく整備された境内には、数々のお寺の建物に加えて博物館なども整備されています。また、ここには屋島水族館があるのですが、いまは改装中でありました。瀬戸内海を見下ろせる絶景ポイントでは、カワラケを投げて輪に通すチャレンジをいたしましたが、何度やっても輪を通り抜けた成功例はありません。とは申せ、旅の終わりに、楽しい時を過ごすことができました。
ここから、一路、再び瀬戸大橋を渡り、岡山駅まで戻りまして、義姉を新幹線改札まで見送り、無事に札所巡りを終えることができました、
四泊五日の旅で、27か所の札所を巡ることが出きました。
生涯の思い出に残る強行軍でもありました。
事故が無くて良かったと肩をなでおろしました。

一般社団法人四国八十八ヶ所霊場会のHPを一部引用させて頂くと、同寺は「屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。弘仁6年(815)、弘法大師は嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願を受けて屋島寺を訪ね、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、また十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置した。以後、大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれている。」と紹介されています。