方谷先生の墓参と満奇洞で涼

山田方谷先生(1805~1877)は、岡山が生んだ江戸時代末期の陽明学派の儒学者で、幼少から新見の丸川松隠に朱子学と詩文を学び、文政 12 (1829) 年松山藩より禄を受け、若くして備中松山藩の藩学会頭に就任しています。さらに京都や江戸での遊学を経験、江戸では、佐藤一斎の門に入り、佐久間象山、塩谷宕陰らと交わりを結び、帰藩後は藩主板倉勝静の侍講を経て、郡奉行となり、当時、莫大な赤字で苦しんでいた藩の財政改革に尽力しました。また、藩主板倉勝静が江戸幕府最後の筆頭老中に就任すると、その政策を支えた建研を持っています。廃藩後は閑谷学校の再興にあたっています。
名言「至誠惻怛(しせいそくだつ)」の「至誠」は極めて誠実なことで真心を意味し、「惻怛」というのは痛み悲しむ心を意味します。即ち、まごころ(至誠)と痛み悲しむ心(惻怛)があればやさしく(仁)なれる。そして目上には誠を尽くし、目下にはいつくしみをもって接するようにします。心の持ち方をこうすれば物事をうまく運ぶことができると言います。つまり、この気持ちで生きることが、人としての基本であり、正しい道だということとしています。孔子、孟子の教えを会得してなお足らざるところが、この「至誠惻怛」(しせいそくだつ)の教えであり、これを王陽明が明らかにしたと解釈されています。

7月31日は、高梁市中井町西方にある、山田方谷先生の功績・遺徳を末永く顕彰するため、明治43年(1910)5月に完成した、方谷園を訪ねました。園内には、三島中州撰文の方谷園記念碑、方谷山田先生墓(旧藩主・板倉勝静の書)、山田家歴代の墓、茶席風神亭などがあります。静かにお墓に手を合わせさせて頂きました。池には糸トンボが群れていました。

さて、墓参を済ませて、ここから30分ほどにある満奇洞を訪れました。満奇洞は県の天然記念物に指定されている全長約450mの鍾乳洞です。県の観光HPによれば、満奇洞の所以は、「1929(昭和4)年に歌人与謝野晶子が「奇に満ちた洞」と詠んだことから、満奇洞(まきどう)と呼ばれるようになりました。静寂に包まれた洞内はカラフルなLEDでライトアップがされているため神秘的な雰囲気です。最奥の洞内湖にかかる「竜宮橋」や、日本屈指のリムストーンが広がる「千枚田」が見どころ。また、洞内にある「恋人の泉」は『恋人の聖地』に選定されています。夏は涼しく、冬は寒くないという適温が保たれているため、季節を問わず楽しめます。」とあります。

また、新見市は、「健康寿命の延伸や交流人口の増加を目指す取組として、「クアオルトⓇ健康ウオーキング」を実施していて満奇洞は、そのコースに指定されており、市では健康な市民が増えるだけでなく、これまで医療費に使っていた財源を、子育てや教育、その他の施策に活用できることとなり、いきいきとした元気なまちづくりに繋げていくことができると考えています。
このプロジェクトのスタートアップを支援しました。久しぶりにコースの表札を見つけて懐かしく思い出しました。