備前福岡の市

毎月第4日曜日に開催される「備前福岡の市」が、4月24日、雨ながら開催されました。
大勢の皆さんが市を楽しんでいました。驚いたことに、偶然、同僚の岩淵先生ご夫妻が来場して、主催者の方とお話をされていました。
まち歩きに誘って頂いたので、コンシェルジュの大倉さんのご案内により備前福岡を視察見学させて頂きました。案内料は500円です(施設入館料込み)。

さて、備前福岡は、古くから商業都市として知られています。陸上交通では山陽道に面しており、河川交通は吉井川の水運が支え瀬戸内海に近い地制です。そのため福岡には市が立ち、西国でも有数の規模を誇ったといわれています(現在の岡山市東区平島団地付近までがエリアであったと記されている)。ここには、現在は長船刀剣博物館に代表されますが、備前長船の刀鍛冶や備前焼の職人が大勢集住しており、産業も発達していたと言われています。その様子を偲ぶことができる「一遍上人絵伝」の解説により、備前福岡の様子を通して、中世から鎌倉時代の人の暮らしと生活様式から貨幣経済の普及までを知る貴重な絵であることを知ることができました。

また、昔の街並みを訪ねながら、さまざまな遺跡を興味深く廻らせて頂きました。
特に、備前福岡地区に祖父を持つ戦国武将の黒田官兵衛が、関ケ原の戦いのあと、1600年、息子の長政に筑前52万石が与えられ、1601年、当時は福崎と言われていたこの地を官兵衛の祖父に縁の深い「福岡」と改めたとされる話では盛り上がりました。
実際に、ご案内いただいた妙興寺には、黒田家の墓所があり、官兵衛の祖父である重隆(NHK大河ドラマ第3回では竜雷太が演じた)のお墓がその中心にあります。また、その墓所の数メートル先に、岡山城を築城した宇喜田秀家の祖父である宇喜多興家(直家の父:大河ドラマでは直家役を陣内孝則が演じた)のお墓もあり、この地が、古からの要地であったことが偲ばれます。
なぜ、長政が、地名を備前福岡にちなんで「福岡」にしたのか、墓前で参加者全員が話し合いました。もともと、この地方は博多商人のまちとして長く栄えてきましたので、明治維新、廃藩置県で地名を何と決めるかで、旧福岡地区(城下町)と旧博多地区(商人町)との間で、大いに論争があり、議会での投票の末に福岡県と命名され、現在に至っていると言われています。

ここ備前福岡も市で賑わう商人町の土地柄で、とりわけ長船の名刀に代表される一文字派の刀鍛冶が集結して名刀を製造して全国に販売していましたので、それを扱う商人は豪商であったことが容易に想像できます。
実際に、岡山では宇喜多公が岡山城の築城に合わせて、この地区の商人たちを岡山城下に移住させた、それが今日の岡山市のメイン商店街である、表町商店街の発祥だそうです。表町商店街の上、中、下の3つのエリア区分も、ここ備前福岡の上、中、下が、そのまま表町に引き継がれたとのことです。このエピソードを初めて聞きました。
帰りに地元産の小麦でうった名物「一文字うどん」を食しました。このエリアには麦畑が広がっています。この地の麦は、アサヒビールの徳島工場へ運ばれ、「スーパードライ」になるんだと、大倉さんが笑顔で語ってくれました。

それから牛窓まで足を延ばして、きびや菓子舗さんで好物の羊羹を買い求めて、海を眺めてから帰宅しました。
名コンシェルジュの大倉さんのご案内により、瀬戸内市の魅力が、益々、深まった1日でした。