境港と美保が関

結婚記念日で食した松葉ガニが美味でした。

去年は友人と鳥取県境港市の魚市場で出かけ松葉ガニを食し、市場から子供や孫たちに朝茹での蟹をクール宅配便で送りました。

今年も孫からそのリクエストがあり、11月21日、久しぶりの遠出となりましたが、鳥取県は、新型コロナウイルスの感染者も極めて少ないとの情報もあり、妻のソロソロ運転で、境港まで日帰りのプチGo to Travelをいたしました。

松葉蟹漁の解禁を受けて、境港水産物直売センターには蟹が所狭しと並び活気に溢れています。もちろん、市場内は、手洗い、マスクは必須でありました。

去年は友人と、形の良い松葉ガニを一匹注文するなど、まずまず豪華な昼食を楽しみましたが、この度は、体調を気遣い、ご飯少なめで三食丼を食しました(美味でした)。

子供や孫には、松葉ガニは高価ですので、質より量を重視、紅ズワイガニをチョイス、無事に発送いたしました。

さて、お天気が良くて気分もすぐれましたので、ここでも疲れない程度に、1日5000歩目標の散歩をしようということになり、境港港を後に、海峡にわたる大橋を越えて、島根県に入り美保神社を参拝いたしました。美保は、その昔、後鳥羽天皇と後醍醐天皇が隠岐に流されるときに滞在した港であり、北前船の寄港地として栄えた歴史と文化に彩られた拠点とあって、美保神社の社の造りに驚きました。HPには「大社造の二殿の間を「装束の間」でつないだ特殊な形式で、美保造または比翼大社造とよばれており、建築用材の大半は美保関周辺に自生していた松を使用し、屋根は檜皮(ひわだ)で葺いています。現在の本殿は文化10年(1813)に再建され、国指定の重要文化財です。」と解説されています。


島根といえば出雲大社が、群を抜いて有名ですが、ここ美保神社も由緒ある歴史の深みを感じさせてくれる荘厳な造りです。

境内を一周してから、青石畳が美しい古いまち並みを散歩、後鳥羽上皇と後醍醐天皇ゆかりの仏谷寺を訪ね、少し疲れましたので本堂でひと休みさせて頂きました。しまね観光ナビによれば「(元真言宗)三明院(現浄土宗仏谷寺)は、隠岐へ流された2人の天皇の風待ちの御座所にもなりました。承久3年(1221)7月27日、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は、出雲大浜湊(美保関)に着かれ、しばらく逗留されましたが、そのときの宿が三明院だと伝えられています。上皇は美保関で都へ引き返す者に托して、寵姫修明門院に一首の和歌を贈られました。それから約100年後、元弘2年(1332)3月、後醍醐天皇もまた討幕に失敗して隠岐配流となりました。「かくて御旅の日数十命日を経て、御船出雲国三尾ノ浦に着きたまふ。当津に仮にありける古き御堂を一夜の皇居とす」(『梅松論』)とある古き御堂は三明院のことだといいます。現在の本堂は新しく、往時をしのぶよすがもありません。」と解説されています。日本史の一頁を思い出させてくれました。


それから、半島の先端にある美保関灯台を見物しました。同じく美保神社のHPによれば、この灯台は「明治31年(1898年)11月8日に初点灯された山陰最古の灯台。水面からの高さは83mで、世界の歴史的灯台100選、日本の灯台50選に選ばれています。美保湾を隔てて大山、弓ヶ浜、また遠く隠岐の島を望むことができ、景観の眺望は雄大で素晴らしい。」と解説されています。遊歩道が整備されており、平坦で距離も短くて散歩にはうってつけでした。鳥取側を眺めると大山が一望でき、日本海側を眺めると隠岐の島が遠望できます。すばらしいロケーションに心が安らぎました。そして土産に美保饅頭を買い求めました。

クルマでの移動が多かったですが、1日5000歩を達成できた、プチGo to Travelとなりました。


帰宅後、妻は運転と散歩疲れで、はやばやと床につきました。