大型商業施設の相次ぐ進出により、全国の商店街は大きな影響を受けています。その影響は倉敷市においても例外ではありません。
今回(10月5日・12日)、倉敷市から岡山大学に対して、倉敷市の商店街活性化に向けたビジョン策定に際して協力要請をいただき、倉敷市倉敷地区、児島地区、水島地区、玉島地区の商店街役員の皆様へのヒアリングと現地調査を実施しました。岡山大学からは経済学部の中村良平教授と中村ゼミの磯崎君(来春から倉敷市職員です)、小職が4地区調査へ参加、さらに水島地区、玉島地区へは荒木勝理事・副学長も参加しました。
倉敷市では、商店街活性化に向けた施策の大方針として、[1]商店街の「魅力」の明確化、[2]空き店舗の解消、[3]来訪者の交流促進を掲げています。今回の調査から、それぞれの地区ごとに固有の課題があることが、よく理解できました。詳しい結果は、倉敷市商工課の方々と協議の上で、正式な「倉敷市商工業活性化ビジョン」として、市長や議会の協議を経て作成、公表される予定です。
このブログでは、活動の様子にとどめて紹介させていただきます。
倉敷地区は、大きく分けて倉敷駅前周辺と美観地区周辺の商店街に分けられます。
倉敷市は、駅の北側にイオンモール倉敷、三井アウトレットパーク、倉敷アリオ(ヨーカ堂)という3つの大型商業施設が完成したことにより、南側の商店街や美観地区へも来外者は増えたものの、商店街の活性化にプラス効果があったとは、必ずしも言えないようです。つまり、これらの大型商業施設と商品が競合する店舗にはマイナスの影響が避けられない現状があります。とりわけ、倉敷駅と美観地区をつなぐ倉敷駅前周辺の商店街に課題が多いことが理解できました。
倉敷商店街振興連盟事務所で行われたヒアリングの様子と現地調査の様子を紹介します。
また、途中、「倉敷路地市庭(ろじいちば)」が開催されていて、立ち寄りました。裏路地の一角を上手に利用して「市」が催され、新鮮な魚介類や野菜、そして加工品、工芸品などが販売され盛況でした。本屋さんを営む倉敷市商店街振興連盟の岡会長と記念撮影をさせていただきました。
▲ 右から2番目が岡会長
児島地区は味野商店街と駅前商店街を中心とした活性化についてヒアリングをさせていただきました。倉敷市児島産業振興センターで行われたヒアリングでは、岡田会長から「元気を失いかけている商店街を、ジーンズ発祥の地KOJIMAとして、いかに活性化の起爆剤として活用できるかがメインの課題」であると説明を受けました。
会場となった児島産業振興センターでも熟練した縫製技術を持つ皆さんが作業をする光景に出会いました。また、時あたかも児島駅をスタート地点として、「アートとデニムの祭典」が開催されていました。こうした様々な取り組みを通じて、衰退した商店街を「児島ジーンズストリート」として復活させる活動が展開中です。旧野崎家住宅へ通じる古い佇まいを残す商店街には個性豊かなジーンズショップが続々と軒を並べ始めています。また、アンティークショップなどの開店準備も進んでいます。
▲ 児島アンティーク
児島駅で「アートとデニムの祭典」の案内役をつとめる「倉敷小町」の方と記念撮影をさせていただきました。
▲ 旧野崎家住宅(左)と、倉敷小町
水島地区は三菱自動車水島製作所の隆盛に伴いできた商店街で、2キロに及ぶ長い商店街です。ただ、現在はシャッターの降りた店が多く目につきます。
水島商店街振興連盟事務所で開催されたヒアリングへは、藤原会長はじめ大勢の関係者が参加され、これまで数々の施策に挑戦中であるものの、決め手を欠いているとの意見が多数出されました。水島地区全体で人口は微増しているという実態がある中で、大型商業施設やロードサイドの店舗に顧客を奪われるという、典型例である点を再認識させられました。
また、車中から水島コンビナートの風景も見学させていただきました。全国でも5指に入る世界に誇る複合コンビナートです。それを支える地元商店街の衰退は、是が非でも食い止める必要があると痛感しました。
▲ 水島コンビナート(左)と、メガソーラー
また、大型メガソーラーや名産のレンコン畑なども見学する機会を得ました。
▲ 小泉会長(右写真)。玉島商工会議所にて
玉島の中心市街地は、その昔、北前船の発着港、備中松山藩の貿易拠点、昭和に入り四国への最短ルート(玉島~丸亀)として栄えた都市で、瀬戸内海へ流れ出る複数の川が集まり水の都の風情をとどめ、さらに数百年を経た重厚な建築物が数多く残る、歴史ある街です。
一方で、商店街も複数ありながら、新倉敷駅(山陽本線・山陽新幹線)と3キロ以上離れている点に加えて、国道2号線バイパスや産業道路の整備などモータリゼーションの波を受け、中心核が新倉敷駅前周辺へ移り、商店街が急速に衰退した経緯があります。玉島商工会議所で開催されたヒアリングでは、小泉会長はじめ参加された全員の役員さんから悲痛な実態が報告されました。一方で、まちは秋祭りの最中であり、まち歩きをして受けた印象を踏まえ、荒木副学長が「この長きに渡る歴史資産と水の都の持つ魅力は、偉大な文化と自然の遺産であり、皆が知恵を出し合って活用の手立てを考えれば、賑わいを取り戻すことを確信した」と申し上げました。
▲ 西爽亭(左)と、荒木副学長
特に備中松山藩の城主が玉島を訪れた際にのみ使われた「西爽亭」(1781~89年建築)の見学では、その建築や庭の風情はもとより、幕末には長岡藩士河井継之助や同志社大学の創設者新島襄などと縁故があった史実に感動を覚えました。また、良寛和尚が若い時代を過ごした地である史実、北前船により茶の湯がもたらされ、市民の生活に広く定着していることなど、その魅力は尽きません。
岡山大学として、まずは、荒木副学長自ら「歴史と文化を語る勉強会を開催する」ことをお約束申し上げました。
こうして「倉敷市商工業活性化ビジョン」作成に向けた4地区商店街調査を無事に終えました。
ご多忙の中をお集まりいただきました商店街の皆様と倉敷市の担当者の皆様、ありがとうございました。